2018
08/09
木
高山神社を後にして、一番近くで御朱印が頂ける場所として『津観音』(つかんのん)に行きました(^^)/
浅草観音、大須観音と並び、日本三大観音の一つとされています。
南側にある入口の寺号標には「恵日山 観音寺」と書かれています。山号は恵日山、寺号が観音寺で、正式名称は恵日山観音寺となります。真言宗醍醐派の寺院です。
朱色に彩られた仁王門が、かつての栄華を取り戻すように堂々と待ち構えています。
両脇に構える仁王像です。仁王像にも色が残っていました。
仁王門の扁額には山号の「恵日山」と書かれていました。
門の中央には「撫で石」がありました。石を撫でて、自分の肩・腰をこれでもかッ!ってくらい擦ってきました(^^)/
門を入って左に手水舎がありましたので、身を清めます。
手水舎の横には文化財の説明板がありました! 国指定をはじめ、たくさんの文化財を所蔵されています。
綺麗に敷かれた石畳の参道正面にあるのが観音堂(本堂)です。左には五重塔も伺えます。右の建物は資料館になります。
参道右手には「鐘楼堂」がございました。鐘楼堂の横には歴史ある鐘楼でしょうか?飾られています。神仏習合のなごりである境内社(猿田彦、秋葉、阿多古神社)がございました。
参道左手にはピンク色(^^;)の「護摩堂」がございました。その横、西門の手前には「丈六地蔵尊」が鎮座されておりました。
観音堂前には「澄心」(ちょうしん)の銅像と観音様がおられました。澄心は平安時代の僧で、三重県伊賀出身のようです。
観音堂の正面全景になります。昭和43年に再建された観音堂は、ちょうど半世紀の建物になります。
ご本尊は聖観世音菩薩ですが、他に「国府 阿弥陀如来」を秘仏としてお祀りしています。
ちょっと左側からの観音堂全景です。
津観音略記は
「恵日山 観音寺大宝院は『津 観 音』の名称で全国的に知られ、日本三観音の一つに数えられる真言宗の古刹の中でも屈指の名刹です。その歴史は和銅2年(709)にまで遡り、中世、近世、現代と時を経ても常に庶民の心のよりどころとして津のシンボル寺院であり続けています。室町時代の永享2年(1430)に、将軍足利義教が勅命を奉じ境内に三重塔や恵音院を建立したり、延徳2年(1490)には天台真盛宗の開祖、真盛上人が山内不動院に滞在し、観音堂に於いて説法され天台真盛宗を広められました。
その本坊である大宝院は後花園帝以来、歴代天皇の勅願の綸旨を賜る別格寺院で、住職は代々朝廷から僧正に補せられ上人号賜るなど特別な地位が与えられました。桃山・江戸時代には豊臣秀吉や徳川将軍家から代々寺領100石の朱印を賜り、藩主藤堂家からは祈願寺として60石の朱印を賜るなど特別な庇護を受けました。
残念ながら昭和20年の戦火で多数の寺宝(国宝含む)や塔頭7ヶ寺を含む41棟の大伽藍を一夜にして全焼しました。しかし幸い難を免れた寺宝約600点(指定文化財含む)を収蔵庫に保管し津観音資料館で年4回程度公開をしています。」
観音堂前にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m 天井絵や奉納絵馬など美術品が数多く拝見出来ます。
他には、三重四国八十八箇所67番札所、伊勢西国三十三所観音霊場19番札所となっております。
世界平和の願いを込めて、平成13年に完成された五重塔です。観覧はできませんでしたが、Googleでインドアビューできるようです。(^^)/
御朱印です!
場所:津観音
最近↓参加しました~(^^)/

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