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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2018 08/05

三重城郭めぐり② 津城跡


前回までは松阪市内を中心に廻りましたが、今回から津市内の参拝記録を報告していきます(^^)/

津市内で最初に伺ったのは、『津城跡』(つじょうあと)になりました!
津城は別名、安濃津城(あのつじょう)と呼ばれ三重県津市丸之内にありました。江戸時代初期に築城の名手、藤堂高虎により近代城郭として大改修され津藩の藩庁となりました。現在はお城公園として整備されています。

まずは津市営お城東駐車場に車を駐車し、すぐ横のお城公園(津城跡)へ行きます。

津城跡 お城公園石柱 



東側の入口に入ると「丸之内本丸」と書かれた石碑と津城跡の説明看板がありました。
現在の本丸跡は日本庭園として整備され、市民の安らぎの場所となっています。

津城跡 お城公園東口 



三重県指定史跡 津城跡

津城跡 説明板 

「津城は、織田信長の弟信包によって築城された。信包は信長が伊勢へ勢力を伸ばしてきたとき、信包は信長が伊勢へ勢力を伸ばしてきたとき、長野氏の養子に入ったものである。天正(てんしょう)8年(1580)には五層の天守閣が完成し、当時柳山付近が中心であった津の町から町家や寺院が移され城下町が作られた。その後、富田氏が城主になり、慶長(けいちょう)5年(1600)関ヶ原の戦いのとき西軍の攻撃を受け、城・城下町とも戦火を受けた。
 慶長13年(1608)、藤堂高虎(とうどうたかとら)が伊予今治(いよいまばり)から移ってくると、城に大改修を加え城下町を整備した。本丸を広げ、石垣を高くして北側の石垣に角櫓(すみやぐら)を築き、堀も整備したが、天守閣は再建されなかった。津城は典型的な平城で、堀が「回」の字形に二重に巡っている輪郭(りんかく)式または囲郭(いかく)式といわれる形の城である。
 城下町は、城を中心に北・西・南側に武家屋敷、東側に町屋(まちや)が置かれた。町はずれを通っていた伊勢街道を城下に引き入れ、町の発展を図った。また、堀川を掘り、東側の守りとしたが、物資の運搬にも利用され商業の発展に役立てられた。さらに堀川の外側には寺院を配置し、万一の場合に備えた。」

と書かれていました。



藤堂高虎公の銅像がありました(^^)/
藤堂高虎公は築城の名手と言われ、津城は高虎公が改修した典型的な近世城郭様式となっていたそうです。

津城跡 藤堂高虎公の銅像 



藤堂高虎公(とうどうたかとらこう)の説明板より

津城跡 藤堂高虎説明板 

「弘治二(1556)年、近江国犬上郡藤堂村(のち在土村、現滋賀県甲良町)に生まれた。15才の時、浅井氏に仕え、姉川合戦で初陣を飾って以来各地を転戦し、天正四(1576)年21才で長浜城主木下秀長(豊臣秀長)に三百石で召し抱えられ、天正十三(1585)年には紀州粉川(和歌山県粉河町)ではじめて一万石の大名となった。
 その後豊臣秀吉の下で伊予宇和島(愛媛県宇和島市)七万石となり、二度の朝鮮出兵にも参加した。秀吉の死後は徳川家康と親しくし、関ヶ原の戦いの時には家康に味方して勝利をおさめ、伊予今治(愛媛県今治市)二十万石の大名となった。
 そして、慶長十三(1608)年いまだ大きな勢力を誇る豊臣家を包囲する重要な地の伊勢・伊賀に二十二万四千石で移され、大坂の役の後に加増され三十二万三千余石の大大名となった。また高虎は、築城の第一人者としても名高く自身の居城として築城した板島城(宇和島城)・今治城や津城・伊賀上野城の修築、城下町形成はもちろんのこと、幕府の命で修築を行った聚楽第・膳所城・伏見城・江戸城・篠山城・丹波亀山城・大坂城・二条城と数多く手がけている。このように高虎の生涯は、戦乱に明け暮れ、また各地を奔走し席の暖まる暇もないものであったが、武将らしさとともに領民への気配りや人の和を大切にした人物であったと伝えられている。」

と書かれていました。



お城公園の西側には「入徳門」がございました(^^)/

津城跡 入徳門 

「文政3年(1820)、津藩主10代藩主藤堂高兌によって創設された藩校有造館の講堂正門として建てられました。明治4年(1871)に廃藩置県により廃校になり、その後、小学校第一校、師範学校、津中学校、三重女子校兼附属幼稚園、入徳幼稚園、県立図書館の正門を経て昭和46年に現在地である津城跡地に移されました。入徳門は昭和43年に津市指定史跡に指定されています。」



入徳門を過ぎて南側の入口に、偶然なんですが織田信長一行がいました(゚△゚;)え?
どうやら岐阜から来た「信長公おもてなし武将隊」らしく、津市観光協会のご厚意で来られたようでした。

津城跡 信長武将隊 



北西から、お堀と稜線の美しい石垣です。公園内は高木に囲まれ森のようです。

津城跡 お堀と石垣 



最初のお城公園東口前に戻り、入口前からの「丑寅櫓」になります(^^)/ お城公園に現存(復元)しているお城らしいのは、この三層櫓のみになります。
昭和33年、本丸の東側に復元されました。また本来の位置とは異なる場所となっているようです。

津城跡 



櫓を石垣上から近くで見ることができます。

津城跡 丑寅櫓石垣上から 



本来の丑寅櫓は本丸東北隅に位置しており、その場所から北側のお堀と石垣です。

津城跡 石垣上① 



先程の場所を西の突き当たりから、北側のお堀とお城公園(日本庭園)を見ています。

津城跡 石垣上② 



御朱印は津駅前の観光案内所でいただけます(^^)/

津城跡 

場所:津城跡

 

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