2018
08/03
金
継松寺のお参りを済ませ、継松寺から1㎞ほどを
歩き、松阪市愛宕町へ本日5ヶ所目で最後に伺ったのは『龍泉寺』(りゅうせんじ)となりました(^^)/

継松寺もですが、ここ龍泉寺も寺号標の石柱はございませんでした。。。(^_-)
山号は愛宕山(あたごさん)、院号が上福院、寺号が龍泉寺となり、正式名称は「愛宕山上福院龍泉寺」となります!高野山真言宗の寺院です。昔から「お伊勢に七度 熊野に三度 愛宕さんへは月参り」とうたわれ、火防安住、商売繁盛、良縁祈願所として当地の人々から信心を集め「あたごさん、あたごさん」と親しまれています。
入口にある鳥居は2014年にできたばかりの朱色の「権現鳥居」です。寺院に何故鳥居?と思われると思いますが、愛宕権現(あたごごんげん)は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号であるためです。
扁額には山号の「愛宕山」と書かれています。
三門(山門)です。龍泉寺の文化財として県指定有形文化財となっています。
三門の説明では
「切妻造、本瓦葺の一間一戸の薬医門。主柱は長方形断面で、根巻きが付く。主柱上に冠木(かぶき)をのせ、三斗組(みつどぐみ)をおき、通肘木(とおしひじき)を受ける。大斗(だいと)上に女梁、男梁を重ね、男梁前端で出桁(だしげた)を支え、後端は控柱上になる。男梁中央に斗束(とづか)を立て、実肘木(さねひじき)で棟木を支える。主柱、控柱間には腰貫(こしぬき)、飛貫(ひぬき)を入れる。男梁上には棹縁(さおぶち)天井を張り、軒は一軒疎垂木(ひとのきまばらたるき)、破風(はふ)には異形かぶら懸魚(げぎょ)をつり、棟端には鯱瓦(しゃちかわら)を載せる。木割太く、斗組(とぐみ)や蟇股(かえるまた)も雄健で、安土桃山時代の風格を示す建物である。松ヶ島城裏門を移したとも、松坂城の門を移したともいわれるが、確証はない。
また、三門右側の妻の破風などには、昭和二十六年の松阪大火の際に黒く焦げた箇所が今も残り、当時の火災のすごさを物語っている。」
と、書かれていました。
境内の全景です。右側の樹木の後ろが庫裡です、写真中心の建物が愛染堂、左側の一段上がった所にある建物が愛宕権現堂(本堂)になります。
三門くぐって、石畳の参道突き当たりが愛染堂です。
手前にあるのはお守り授与所と書かれています。。。もとは香炉堂になるのかな?(^^;)
愛染堂です。ご本尊である天弓愛染明王はここに祀られている?と思います。。。(^_-)
堂前にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
三門手前まで戻り、石段を上に上がります。神仏習合らしく、狛犬もございました。
階段上の境内には御神木もございました。
愛宕権現堂(本堂)です。ご本尊は愛宕大権現になります。
龍泉寺縁起は
「当山は往昔、北畠家の治所として豊臣秀吉より蒲生氏郷公(安土桃山時代・伊勢松阪城主)に与えられた寺院として歴史、由来のある寺院です。
当山古記によると、開創は聖武天皇(在位724-49)が行基に勅し、一志郡中郷村滝野川に一宇を建てたのが始まりと伝えています。その後、七堂伽藍建立し「滝川寺」称しました。
「滝野川寺」は伽藍の総寺号として、多気の国司・北畠家の信仰熱く寺領の寄進もあり、塔頭・堂・坊舎が数多く祈願寺となりました。龍泉寺・上福院の下の防「上福院」は当寺の旧号です。
当時は「伊勢の愛宕」と称され信徒、参拝に絶えない寺院でした。しかし、永禄(1558-69)各地で戦が起こり、修羅の烽火は滝川寺にも及び影響を受けました。そのため、永禄十一年(1568年)本尊ならびに氏神を守護し奉り、下の防・上福院を松ヶ島平尾村に移し「瀧泉寺」と成りました。
天正九年春、嵯峨御所大覚寺の宮より御令旨を賜り、北尾大藪潮田長助殿、壇越となり松ヶ島より愛宕大権現を松阪へ移し祀りました。また、同年正親町天皇の御綸旨を下し勅願所となり「愛宕山 上福院 龍泉寺」と称する事になりました。松ヶ島城が松阪城に移り替えの際、時の住職良宗上人が四朗衛門という武士を伴い、現在の地に移建しました。
以来、松阪城主蒲生氏郷をはじめ代々城主の信仰熱く、特に三代目古田重勝は深く信仰を寄せられた。その重勝公の塚が境内地にあり、現在も毎年6月16日には重勝公を偲び「展墓祭」が営まれる。愛宕大権現本殿(本堂)は明治初年までは愛宕社であったが、神仏分離の際、神殿を仏殿本堂として本尊を祀る。」
とホームページに書かれていました。
本堂前にてお参りをさせていただきました<(_ _)> 扁額には「愛宕大権現本殿」と書かれています。ここにも神仏習合のなごりがございました。
本堂と愛染堂の間に瀧川稲荷大明神参道とありましたので、行ってみます(^^)/
境内社?になるのかな?「瀧川稲荷社」がございました。松阪に最初に出来た「稲荷明神」のようです。
庫裡側にありました建物ですが、調べましたがわかりませんでした。(^^;)
三重四国八十八箇所のポスターが貼られていましたので、大師堂なのかもしれません。この境内で一番大きい建物です。この横にある納経所にて御朱印を書いていただきました~。
御朱印
場所:龍泉寺
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