2018
08/01
水
松阪神社の次に向かったのは、松阪駅の近くにあります『継松寺』(けいしょうじ)に行きました(^^)/
継松寺は山号が岡寺山と言い、通称を岡寺と呼ばれています。高野山真言宗の寺院になります。
まずは、表門のある入口前からです。寺号標はなく、開運・厄除観世音の石碑が建っております。
入口入ってすぐに、継松寺の文化財の内容が書かれた看板がありました。
建造物から仏像、書画など、たくさんの文化財が指定されているようです。
とても立派な山門(表門)です。屋根にはシャチホコもありました(^^;)
山門には「岡寺山」と山号が書かれた豪華な扁額が掲げられていました。
境内全景です。正面奥にあるのが本堂です。境内参道は石畳で通路ができています。百度石ならぬ千度石ですか~?「千度拝標石」と書かれた石碑がありました!
漱盤(そうばん)と書かれた手水舎です。横には深井戸もございました。
身を清めて進みます。
本堂前の香炉堂です。文化財に銅香炉と言うのがありましたが、高さが194cmみたいなのでこれではないみたいです。。。(^^;)
境内左側にあったのは、鐘楼堂です。梵鐘も含めて松阪市の文化財に指定されております。寛永16年(1639年)の造立になります。
鐘楼堂の隣にあったのは、たぶん護摩堂になります。(^^;) 資料は全然ありませんでした…
本堂の左には、大師堂がありました。宝暦10年(1760年)の建立です。扁額に「弘法大師」の名前が書かれています。
大師堂と本堂の間には地蔵尊の看板があるので地蔵堂かな?両脇をおびんずる様と大黒天様が祀られていました。(^^)/
本堂です。本堂前の銅燈籠は寛永16年(1639年)の造立で、市指定文化財です。
ご本尊は如意輪観世音菩薩となっています。寺伝によると、天平15年(743年)に聖武天皇の勅願により、行基によって創建したとされています。日本最初の厄除け観音として知られ、毎年3月の初午大祭は多くの参拝客で賑わうようです。
継松寺の縁起は
「当山に伝わる『継松寺儀軌』によると、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建しています。
東大寺建立の大事業が無事成功することを祈願するために建てられた寺院でした。
聖武天皇42歳の厄年の際に、ここのご本尊如意輪観世音菩薩を宮中にお奉りし祈願した後、再び当山に安置したことから厄除け観音としてこの地域の厄年の参拝者が多く訪れます。
後に洪水によりお堂は流失しますがその際に海中よりご本尊を拾い上げた二見の漁師であった三津五郎右衛門正信が弁財天のお告げを聞いて出家し継松法師となりお寺を再建したことから継松寺と名付けられるようになりました。
また弘法大師空海が当山に逗留した折に本尊の両脇に不動尊と毘沙門天を造り安置したと伝えられています。
元は石津にありましたが、慶長17年(1612年)松阪城主古田重治により現在地に移されています。」
と継松寺ホームページに書かれていました。
本堂前には「継松寺」と書かれた扁額が掲げられていました。本堂前にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂内の右横に受付所(寺務所)がございましたので、御朱印をいただきました(^^)/
境内の右手にあった庫裡です。玄関の付いているところは書院です。寛永六年(1629年)の建立です。こちらも市指定文化財となっています。
御朱印
場所:継松寺


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