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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2018 07/30

四五百之森鎮座 松阪神社


本居宣長ノ宮に続いては、同じ四五百之森(よいほのもり)に鎮座する『松阪神社』(まつざかじんじゃ)になります(^^)/

まずは、松阪城跡で紹介しました「御城番屋敷」への入口横に松阪神社の第一鳥居がありました。
社号標は暗くて見えにくいですが、「松阪神社」と書かれています。
社号標の後ろには由緒看板がありましたが、写真撮るの忘れましたので、本殿の紹介時にお伝えします。真っ直ぐな参道は桜並木みたいです。春は綺麗でしょうねぇ~(^^)/

松阪神社 社号標 第一鳥居 



四五百之森に入る手前に第二鳥居がありました。両脇には常夜灯も建っています。

松阪神社 第二鳥居 



境内参道の階段を上っていきます。本居宣長ノ宮でもお伝えしましたが、四五百之森の荘厳さが感じ取れる空間の始まりです。

松阪神社 参道石段 



境内に出ると、第三鳥居がありました。

松阪神社 第三鳥居 



左手にはまだ新しくなったばかりのような手水舎がありました。身を清めて中に向かいます。

松阪神社 手水舎 



右手には社務所がありました。ここで御朱印を書いていただきました。

松阪神社 社務所 



広い境内ですが、高い常緑樹で覆われており、木の陰で、より荘厳さが生まれます。

松阪神社 境内 



御神木の大楠です。樹齢900年の古木となります。

松阪神社 御神木大楠 



「神楽殿」です。こちらもまだ新しくできたばかりのようで木材の色が新鮮です。

松阪神社 神楽殿 



境内社の「少彦名命社」になります。少彦名命は「古事記」や「出雲神話」などに登場する神様で、“一寸法師”の童話のモデルとも云われています。

松阪神社 境内社 



境内の一番奥に鎮座しているのは拝殿と神輿殿になります。

松阪神社 境内奥 



左側の「神輿殿」です。中にはちゃんと神輿が収められていました。

松阪神社 神輿殿 



拝殿です。銅板葺きの屋根がいい雰囲気を出しています。
主祭神は誉田別命(八幡神)と宇迦御魂神(稲荷神)で、明治の神社合祀により三十三社の神を合せ祀ります。

松阪神社 拝殿 

松阪神社のご由緒は

「当社は古来「意悲神社」と称し、平安時代以前の創立で、飯高の國式内社九社の一座と伝えられているが、その創立年代は詳かではない。室町時代末期の天正十六年(1588年)蒲生飛騨守氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森(古くは意悲の森)と呼ばれていた丘に築城された時、この森の南の丘に鎮座していた当社を新たに御遷営され、城の鎮守社と定められた。氏郷は天正十二年(1584年)秀吉公から伊勢の松ヶ島城主に任ぜられ、近江の國日野町から松ヶ島に移ってきたが、その時この宵の森(現、四五百之森)の地の利に着目して、この森に築城を急いだ。又この矢川の庄を「松阪」と名付けて、城下町を造り始めた。そして、松ヶ島から強制的に寺社や商人を「松阪」へ移住させ、近江の日野商人も招いた。楽市楽座を実施して誰でも自由に商業を営ませた。又その頃まで海岸寄りにあった、伊勢参宮街道を松阪の中央へ引き入れた。天正十六年に城が完成し、氏郷は入城して「松阪城」と名付けた。この時当社に、新たに武士の尊崇の神である「正八幡」を勧請して、誉田別命「応神天皇」を合わせ祀り「八幡宮」と唱えた。
 後世、江戸に雄飛した伊勢商人が生まれた町が松阪であり、近世の商都松阪の繁栄についても蒲生氏郷は、その基を造ったので松阪の功労者と云える。その後、氏郷は会津若松へ移封となり、文禄四年(1595年)古田兵部少輔重勝が、松阪城主となって入城し、更に自らの信仰していた宇迦之御魂神(お稲荷さん)を勧請して、当社に相殿としてお祀りすることになった。その後、元和五年(1619年江戸初期)紀州藩徳川頼宣の領地となり、以後の明治維新までの250年余り松阪城は、紀州藩伊勢領十八万石の要地となり、城代の居城となった。この長い年月、当社の神官を務めたのは、飯高氏の子孫と云われる笠因(カサヨリ)家という社家が代々当社の社司を務め、雨龍神社も兼務していた。代々の紀州藩主は、松阪着城の都度必ず先ず当社に参拝し、又毎年一月元旦には、常に重臣を名代として参拝させられた。明治維新となり、明治二年天皇伊勢行幸の砌、当社に名代として北大路殿を奉幣使として代参させられるなど、また、明治四年には、郷社に列せられ遠近の人々の尊崇を集めた。明治四十一年には、時の政府の方針により全国で神社合祀が行われたとき、松阪に於いても各所に祀られていた十七神社が、当社に合祀され社名を「松阪神社」と改名が許可され、今日に及んでいる。
 又現在の当社本殿は、昭和五年の御遷座の節、伊勢の豊受大神宮の三御殿の中の一つである、西宝殿をそのまま御下附を受け、松阪市内を「お木曳き」行事を行って造営した神明造の本殿であったものに、千木・鰹魚木・銅板屋根の部分を新しくした由緒ある本殿であり、飾り金具や御鍵・御錠も共にその時拝受したものに今回焼き付けの金メッキを施したものである。このような豊受大神宮の拝戴は、全国でも当社だけであり、江戸時代以来二十年ごとに下附を受け、昭和五年は、第八回目の拝戴であった。また境内中央に高く聳える御神木(楠の大古木)は、氏郷が、御造営の頃もすでに、この位置に五百年を経過した大古木になっており、現在では九百年以上経過した大木で、天空高く四五百之森に聳えている荘厳さは、実に美しい風景である。」

と第一鳥居の前にあった看板に書かれていました。



拝殿前には「松阪神社」と書かれた扁額が掲げられていました。
拝殿にて参拝させていただきました<(_ _)>  本殿は撮り忘れました…(o´_`o)ハァ・・・

松阪神社 拝殿前 



御朱印です。
松阪神社 



場所:松阪神社

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