2018
07/28
土
松阪城跡に続いて、本日2ヶ所目に伺ったのは『本居宣長ノ宮』(もとおりのりながのみや)になりました(^^)/
松阪城跡の裏門側から出たところに、本居宣長ノ宮の看板がありました!
入口の第一鳥居は石製になります。神社横には結婚式場の「本居会館」が併設されていました。
鳥居をくぐってすぐに手水舎がありましたので、身を清めます。
参道の階段を上って境内に向かいます。境内は森のように木々で溢れていました。
本居宣長ノ宮は常緑樹が繁るこの荘厳な森、四五百森(よいほのもり)に包まれるようにして鎮座しています。
階段を上がったところに第二鳥居がありました。こちらも石製です。
第二鳥居をくぐった所に、社務所と拝殿(社殿)がありました。
境内には宣長の歌碑がありました。
「しきしまの やまと心を 人とはば 朝日ににほふ 山さくらばな」
祈願絵馬掛けがありました。受験生の合格祈願絵馬や家内安全や病気平癒など、様々な願い事が叶いますようにと沢山の絵馬が掛けられています。
境内社の末広稲荷大神です。御祭神は宇迦之御魂大神となっています。
興和紡績株式会社松阪工場に遷座していましたが、工場閉鎖により松阪の名の発祥の地である、この四五百の森に遷座しました。
社殿です。主神は秋津彦美豆櫻根大人(あきづひこみづざくらねのうし)(本居宣長)となります。
本居宣長ノ宮の由来は
「本居宣長大人(鈴屋大人とも称される)は賀茂真渕大人を師と仰ぎ、畢生の古典古事記の研究でわが国体と古道を解明して、清明の大和心を恢弘し、民族精神の自覚を促す思想学説から語学、文学、史学等各方面の創建に富み、殊に国学に著しい社会的進展を与えました。この国学が明治維新改革の原動力となったと云っても過言ではありません。
尚、碩学鈴屋大人を神と祀る世論は早くからありましたが、明治初年、川口常文等之を主唱し実現するに至ってます。」
とホームページにありました。
社殿前の入口上には社名である「本居宣長ノ宮」と書かれています。社殿前にてお詣りをさせていただきましたm(_ _)m
先程の歌碑に書かれていた宣長の和歌が御朱印です。
場所:本居宣長ノ宮

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