2018
07/26
木
今回からちょっとの間、お休みとなった土日に、出張先の三重県松阪市と津市の神社仏閣巡りの内容をお伝えしていきます(^^)/
まず最初に訪問したのは、『松阪城跡』(まつざかじょうあと)となります(^^)/
正直、今回は御朱印があると言うことでお伺いしましたが、見栄えのするものが全くないことを先にお伝えしておきます(^_-)
城跡の隣にある松阪市駐車場(無料)に
車を置き、入口に向かいます! 門はありませんが、表門になります。

入口には「史跡 松阪城跡」と書かれた石柱が建っておりました。
石柱を過ぎたところに、「国史跡 松阪城跡」と書かれた看板がありました。
その説明看板には
「松阪城は、蒲生氏郷が天正十六年(1588)この四五百森に築城した平山城である。
蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正十九年(1591)に服部一忠、文禄四年(1595)に古田重勝と城主が変わり、元和五年(1619)に徳川頼宣が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明寺になるまで勢州領(松阪・田丸・白子等)十八万石を統轄する城代が置かれてきた。
城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二の丸・三の丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二の丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。
三層の天守閣と金の間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また二の丸には寛政六年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。
明治十四年(1881)松阪公園となり、現在に至っている。」
が書かれていました。
石垣の高さは、さすがにお城があったこと感じさせるに十分な大きさが伺えます(^^)/
坂の途中に歴史民俗資料館がありました。
当日は「紙問屋 小津清左衛門家 展」がやっていました。。。誰だろ(^^;)
石垣下の小さい石碑に「助左衛門御門跡」と書かれていました。
左の石碑には「御跡」、右に「月見櫓跡」とあります。
真ん中の大きい石碑は梶井基次郎文学碑と書かれていました(^^;)
「金の間櫓跡」と書かれていました。
「本丸跡」です。ここの城郭の中で一番広い場所でした。
「天守閣跡」です。奥にちょっとした石垣が見える所が「敵見櫓」と思われます。
天守のあった最上部まで登りましたので、裏門側へ降りていきます。
途中、特別史跡である「本居宣長旧宅」がありました(^^)/ 有料なのでパスしました(^^;)
城郭の南側にある「御城番屋敷」です。通路の両脇は背の高い垣根に囲われて建物が見えません!(^^;) 通路一番奥にあるのが松阪城跡の石垣です。
本丸跡から見える「御城番屋敷」になります!
Wikipediaより
松阪城跡の御朱印があることを知ったのは、伊賀・亀山・津・松阪・鳥羽・5つの城郭をめぐるスタンプラリーが開催中で、同時に希望者に有料(200円)で販売していることを目にしましたので(^^)/
御朱印は松阪市観光情報センターで買えます。
場所:松阪城跡

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