2018
06/22
金
平安寺を後にして、歩いて向かったのは『弓削寺』(ゆげじ)になりました~(^^)/
入口前には「花の郷 弓削禅寺」とあります。ここ弓削寺はあじさい寺と呼ばれ、岐阜県のあじさい名所となっております。時期がちょっと早かったですねぇ~(^_-)
今回は別の参道から入ってしまったらしく、寺号標は確認出来ませんでした。。。( ̄▽ ̄;)!!ガーン
山号は阿梨耶山、寺号が弓削寺、正式名称は阿梨耶山弓削寺となります。臨済宗妙心寺派の寺院です。
入口から道路を南に行った境内の隅に「馬頭観世音御霊」と書かれた石碑がございました!
ここ弓削寺は馬頭観世音菩薩が本尊になっております。
石碑の横には隠れて、西美濃三十三霊場の石碑もございました(^^)/ 弓削寺は第九番礼所となっています。
山門外には観音様の像もございました。
屋根勾配の少ない珍しい山門です。 山門手前に手水がありましたので身を清めて入ります。
入って左手には、先程の馬頭観音石碑の後ろにあった鐘楼堂がございました。
山門の正面が本堂になります。創建は伝教大師最澄と伝わっております。
前回お伝えした平安寺は、この弓削寺の経典を納めるために建立されたと伝わっています。
西美濃三十三霊場のホームページにある弓削寺の歴史より
「 弓削禅寺はかつて、伝教大師最澄が美濃安八にきたとき、池田山の上に連日紫雲がたなびくのを見て不思議に思い、この場所を訪れた。すると、湯気の出ているところに温泉を見つけ、試しに錫杖(しゃくじょう)を差し入れて探ってみたところ、忽然として馬頭観音像が湧出した。弘仁8年(817年)、この観音を安置するため草菴を結び、阿梨耶山湯華寺と号したのが、弓削禅寺の始まりと伝えられている。現在もご本尊は馬頭観音菩薩。馬頭観音にあやかってか、池田町では草競馬が盛んだった。特に弓削寺の草競馬は昭和30年頃まで行われていた。弓削寺の馬頭観音は今でも馬に関係のある人々に信仰されている。
応徳年間(1084年~1087年)白河法皇が谷汲山に参拝し折病気となり、この湯華寺の湯につかったところ完治したという逸話が残っている。その時白河法皇から「弓削寺」を授かり、湯華寺から弓削寺に寺号が変わったとされている。」
と書かれておりました。
本堂前には山号である「阿梨耶山」と書かれた扁額が掲げられていました。
お庫裡さんに案内され、中でお参りさせていただきました<(_ _)>
本堂正面を入ってすぐの天井が絵天井で綺麗だったので
撮ってきました~(^^)/

御朱印を書いていただきました。
場所:弓削寺

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BEFORE「西美濃三十三霊場の平安寺」
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