2018
06/20
水
観音寺に続いては、揖斐郡池田町にある『平安寺』(へいあんじ)に来ました('ω')ノ
まずは、坂の登り口にあった寺号標です!「妙心寺派平安寺」と書かれています。
山号は洞海山で、寺号は平安寺、正式名称は洞海山平安寺で、臨済宗妙心寺派の寺院になります。
登坂の途中の参道には、お地蔵様や観音様がお守りされている所に、
「平安寺参道」と書かれた石碑がございました。
境内の全景です!多種多様な木々に覆われた庭園となっております。
階段前にはお馴染みの西美濃三十三霊場の石碑がありました!
平安寺は第十番礼所となっております。
山門です。木製の鳥居のような変わった山門になっていました(?_?)
山門入って境内建物の全景です。右が玄関、真ん中が本堂、左が鐘楼堂になります。
境内の隅には二重の塔の精巧なレプリカがありました( ゚Д゚)?
高さ9mほどの大きさらしいのですが、木組みも本物そのもので、彫り物も各所に施してあり、五重塔を建てる機会を無くした頭領が腕の確かな処を見せるために建てたらしいです。
鐘楼堂になります。大きなしゃちほこがあるのは珍しいですね~(*'ω'*)
玄関です。今は使われていないようです。右側が住居(庫裏)になります。
横幅のある大きい本堂です。本尊は薬師如来になります。
西美濃三十三霊場のホームページにある平安寺の歴史より
「 弓削寺寺伝によれば,応徳年間(1084年~1087年)白河法皇が谷汲産参詣の折発病され,谷汲観音の姿の御告げにより、池田郡弓削寺にて湯治平癒されたので、平安殿を建て大般若経600巻を書写奉納された。それが平安寺として開山されたものといわれている。元々、天台宗であったが、萬治元年(1658年)快伝和尚が衰退していたものを再建して禅宗に転派した。
池田町池田山山麓にある平安寺は、応徳年間(1084年~1087年)白河法皇が、谷汲山参拝の折、病気になり弓削禅寺の温泉で完治したので、弓削禅寺境内に大般若経を奉納する平安殿を建立したのが始まりと伝えられているが、詳細は不詳である。境内にある二重塔(約9m)は江戸時代末期に秋葉神社に建立され、明治時代に平安寺に移されている。」
とありました。
本堂前には「洞海山」と山号が書かれた扁額が掛けられていました。
本堂前にてお参りをさせていただきましたm(__)m
お庫裏さんに御朱印を書いていただきました~
場所:平安寺

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