2018
06/18
月
本日最初に伺ったのは、揖斐の山奥にある『観音寺』(かんのんじ)となりました(^^)/
山号は施無畏山(せむいさん)、寺号が観音寺、曹洞宗の寺院です。
まずは手前にあった広い場所に
車を停め、歩いて階段下に向かいます。

左には「六社神社」の鳥居の先に上への階段があり、左は観音寺への階段となっています!
上では繋がってましたけどね~(^_-)
西美濃三十三霊場の石碑がございました。観音寺は第十二番礼所となっています。
登り切って下を見下ろすと急勾配でメッチャ高い!!(^^;)
左側には鐘楼堂がございました。
正面には玄関があり、左は本堂へ、右は庫裡(住居)となっておりました(^^)/
玄関を入れて、本堂を臨んだ全景になります。標高の高い位置にあるので神聖な雰囲気があります。
観音寺の由緒がございました。
「当山は曹洞宗永平寺を本山とする禅寺です。
養和元年(1182)天台宗の僧●峰照上座この地に来て元正庵を創建永く続いていたが天正年間になって衰え、住持佛像共に他へ移り去り廃寺(空き屋)同様になったと言われています。
関ヶ原合戦に敗れ逃れ来た西軍の将小西行長がこの寺に隠れたが、竹中円後守重門(竹中半兵衛の子)に依って捕えられました。
慶長六年(1601)当村種本村より、千手観音、大日如来、釈迦如来、の三尊像(いづれも行基菩薩作との伝承)を譲り受け寺(空き屋)に安置する。
大垣藩主戸田氏鉄公に「おさい様」と申す姫君あり宇都宮十五万石城主本田正孝の正室となっていたが、同城に起きた釣天井事件のため離縁となり大垣へ帰ってきました。
正保年間そのおさい様が重い眼病で苦しんでいたある夜、(中山の観音様を信仰しなさい)との夢のお告げがあったので兄氏信公に手を引かれ大垣からここまで足を運ぶ事数度、霊感あってすっかり快復したのです。
この時、衰えた姿の寺を見た氏信公はこの寺の再建を計る事となり、禅宗観音寺と改め加賀の大乗寺二十五世白峰玄滴和尚を招請開山第一世とし、戸田氏紋所九曜の紋を与え永代無年貢とし再興す、時に慶安元年(1648)の事です。
万治年間になっておさい様は、戸田本田両家菩提のため安八郡神戸町に栄春院を建立し、あの霊験あらたかな千手観音様を欲望されたので栄春院へ移し、替りに別の観音像を当時へ納めました。現在の本尊十一面千手観世音これがその観音様です。
以来度々災火に見舞われ乍らもその都度藩主から寄せられる救助の手によって守られてきました。
近くは万延元年(1860)本堂庫裡全焼に際し、戸田十代目藩主戸田氏彬公より金参百両の下附を受けて再建し現在に至っております。」
本堂です! 本堂前が狭かったため、一段下がった所から撮りました(^^)/
本尊は十一面観音になります。
観音寺は本山を曹洞宗永平寺とする禅寺で大垣戸田氏ゆかりの寺院となります。
本堂前にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m
本堂内の納経所にて300円を置いて、御朱印を押印させていただきました~
御朱印
場所:観音寺

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