2018
06/16
土
本日2ヶ所目は前回「津八幡宮」の隣にある『結城神社』(ゆうきじんじゃ)に行きました(^^)/
まずは、入口前に大きい文字で「太平記ゆかりの結城宗広公終焉の地」と書かれた看板と、「結城神社」と刻まれた社号標が迎えてくれました。
石製の大きな鳥居をくぐって、参道を進みます!
駐車場も中にあるので通って行きます。

参道中程にある大きな木を超えた左手に本殿があります。

境内案内板がございました(^^)/ 写真に撮り忘れましたが、本殿左には梅苑がありました!
コンクリートで固められた参道は綺麗に整備されており、先程の津八幡宮は静かな鎮守の杜と言った感じでしたが、こちらは観光客でいっぱいと賑やかなところでした(^^)/
手水舎にて身を清めます。
鋳銅製で日本一の狛犬と書かれていました! 高さ1m40cmだそう(。・∀・)ノ
本殿(拝殿)左には受納殿がございました。何するところだろう?(^^;)
右側には社務所がございました(^^)/ ここで御朱印を書いていただきました。
本殿(拝殿)全景です。銅葺きの屋根は緑青が出ていい感じの佇まいになっています。
主祭神は最初の大きな看板にもありましたが、結城宗広公になります。白河結城氏の結城宗広を祀る建武中興十五社の一社にあたるそうです。
社格は別格官幣社・別表神社となっています。
結城神社の由緒書きがありました
「結城上野介藤原宗広公は陸奥白河(現在の福島県白河市)の城主、元弘三年後醍醐天皇 の綸旨を奉じ新田義貞公と協力して鎌倉幕府を亡し建武の中興の大業を助けられ 賞として鬼丸の太刀を賜り故郷に錦を飾り奥羽の平定に労苦を捧げられましたが、 足利尊氏再び京都を犯すに到りましたので陸奥の宮義良親王を奉じて北畠顕家 公と共に錦旗を翻して陸奥の大軍を率いて西上せられましたが南風競はず再度の 旗挙も終に遠州灘ぼ暴風雨に阻まれ其の志を得ずして当地に薨ぜられ時に延元三年(一三三八) 秋深く御年七十三才といわれております。」
と書かれておりました。
本殿(拝殿)にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
梅苑側から撮りました本殿は神明造りの屋根となっていました。手前の木はしだれ梅かな?(^^;)
しだれ梅はるるぶ.comさまよりお借りしました<(_ _)>
御朱印
場所:結城神社

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