2018
06/10
日
善南寺のあった揖斐郡池田町を後にして、隣町の安八郡神戸町にある『善学院』(ぜんがくいん)に行きました(^^)/
参道周囲は木々に覆われ、左側には池があります。
山門手前には、仏像(金佛 盧舎那仏)やご輪石(五塚輪)がございました。
山門前には右に寺号標。「影嚮山 神護寺 善學院」と書かれています。
山号は影向山、寺号は神護寺、院号が善学院で正式名称は寺号標にあるように「影向山神護寺善学院」です。天台宗の寺院となります。
左には西美濃三十三霊場の石碑があります。善学院は第十四番礼所となっています。
山門に掲げられていた扁額には山号の「影向山」と書かれていました。
山門をくぐり、境内よりの主要な建物全景になります(^^)/
境内右手には、細かい芸術が施された彫刻がある鐘楼堂がございました。
左手には白壁が綺麗な、寶物を納める寶物堂がございました。
寶物堂の横には善学院の建立をした元三大師の名前が付いた元三大師堂がございました。
元三大師堂の入口上には、元三大師の名が入った扁額が掲げられていました!
堂前にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m
横に長い本堂の前には、背の高い宝篋印塔がそびえ立っていました。
本堂前には「善学院由緒」がありました。
「当山は今からおよそ千二百年前の天平年間に、善深大和尚の創建によると伝えられる。その後、弘仁八年(817)秋、当時の安八郡司安八太夫に招かれた伝教大師(最澄)が影向の間に入られた時、比叡山日吉権現の御姿が来光あらせられ、「この地に山王権現をまつれ」との御告げがあった。大師は大いに歓喜せられ、自ら御神体を彫刻、鎮守の杜としてまつった。日吉神社の始まりである。
嵯峨天皇の御代に、日吉神社を護る寺として、「神護寺」と号するよう勅命があり、下って元三大師が御来杖の折、学問所として「善学院」と命名された。
本堂は藤原期の建築様式で、手斧(ちょうな)造りである。柱は開基当時のものと伝えられる。
江戸時代には徳川家の守護寺として幕府から御朱印地を賜わり、徳川五代将軍の位牌が安置されている。
境内には、この地を「小比叡の里」と名づけられた伝教大師の碑を初め、芭蕉の句碑、江戸時代の漢学者金龍道人の寿碑があり、特に江戸末期の南画家高橋杏村碑の碑文は、森鴎外の撰によるもので、文学史上からも貴重である。」
と、書かれていました。
本堂全景です。緑青色の屋根が映えます。
本尊は阿弥陀如来となります。創建は先程の由緒でもありましたが、1200年前の平安時代と伝えられています。
本堂の中に案内され、お参りをさせていただきましたm(_ _)m
西美濃の御朱印を書いていただきました(^^)/
場所:善学院

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