2018
06/06
水
今回は、昨年の夏に数度伺っていましたが、本日ようやく御朱印をいただくことができました『求浄庵』(ぐじょうあん)を紹介いたします(^^)/
まずは入口前の看板に大きく「西美濃三十三霊場 第二十二番 紫雲山求浄庵」とあります!
赤い壁の建物の右、画像の真ん中に小さい山門が見えます。ここから中に入ります。
看板にあるように山号は紫雲山になります。金戒光明寺末の浄土宗の寺院になります!
山門です。左側には西美濃三十三霊場の石碑が建っております。先程の看板にもありましたが、ここ求浄庵は第二十二番礼所となっております。
山門くぐったすぐの所には、この寺の御神木か?と思うほどの大垣市指定特別保護樹のイチョウがございました(^^)/ 樹齢180年だそうです!
イチョウのすぐ横には高い台座の上に聖観音像がございました。
イチョウ前から境内建物の全景になります。左が本堂になります。右の大きい建物は庫裡?なのかな?(^^;)
西美濃の中では最も小さい本堂でしょうねぇ(^^;) 庫裡の方が本堂かと思いましたよ。。。
本堂前には地蔵菩薩がおられました。 本尊は如意輪観音菩薩となっております。
本堂前にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m
扉の上には略縁起が記載されていました。
「戦国時代の天文2年(1533年)、土岐氏の家臣であった大垣領主・宮川安定が、祖母の清浄庵心照が彫刻した観世音菩薩像を本尊として、帰依していた学全法師を招いて開いた。
天正4年(1576年)に寺は火災のため灰燼に帰したが、宮川氏に代わって城主となった氏家卜全の発願により、天正7年(1569年)に復興された。しかし、天正12年(1584年)に今度は大風により倒壊し、再興の目途も立たなかったために本尊や什器は庄屋の下で保管されることとなった。年月を経るうちに寺ゆかりの品々は失われてたが、文政7年(1824年)に河毛儀左衛門が再興を志して本尊を得て堂宇を整え、その娘を尼僧として住まわせた。 その後、尼寺として地域の信仰を集めていたが、2017年現在は無住となり、近隣の住民により護持されている。
本尊の如意輪観音像は文化9年(1812年)に杭瀬川に流れ着いた首に体躯を補ったものとされ、首から上の病に験を示すと伝わる。」
Wikipediaより
現在は無住となっているため、普段は誰もいません。御朱印は午前の11時くらいまでに来ると対応可能みたいなことが書かれていましたので、休みの土曜日に数度伺ったんですが、一度も会えず・・・今回は平日に行ってみたらなんと、女性の集まりのような所に遭遇できたので、御朱印のことを訪ねるとあっさりいただけちゃいました~(≧∇≦)ノ
場所:求浄庵

この記事と関連する記事
AFTER「西美濃三十三霊場の善南寺」
BEFORE「西美濃三十三霊場の天清院」
COMMENT