2018
06/02
土
西方寺を後にして、本日2ヶ所目は『水薬師寺』(みずやくしじ)に伺いました(^^)/
まずは入口前の道路からの全景です! 山門はなく門柱のみです。若干、東海四十九薬師霊場のノボリに隠れていますが、寺号標には「水上殿 水薬師」と書かれております(^^)/ ちょっと聞き慣れないですが、山号とは違うのかな?(^^;)
正式名称は「水上殿 水薬師寺」で、臨済宗妙心寺派の寺院になります。
入口の東側には横に長いお堂があり、延命地蔵尊やお不動様等が祀られておりました。
入口の西側、境内の中の石碑に「岐葉二十一大師」がまたありました(^^;)
真ん中の石碑には「美濃新四国第二十番水薬師堂」とありますが、現在の美濃新四国八十八ヶ所霊場では第三十八番礼所となっていますので、いつの時代の何でしょうねぇ~(^_-)
境内に入り、先程の石碑の裏側は美しい庭園になっていました。 手前の手水にて身を清めます。
本堂前には四国霊場のお砂ふみ所がございました(^^)/
本堂全景です。時代の流れなんでしょうけど、屋根にソーラーパネルがございました…
本尊はもちろん薬師如来となっています。又、先程のノボリにありますように、東海四十九薬師霊場の第十五番札所にもなっております。
水薬師寺の略縁起は
「ここ加納は、金華山のふもとに位置し、江戸時代は加納城がそびえる城下町でした。
水薬師寺の歴史は、今から約400年前慶長17年(1611)猛暑の中、当時の広江村(現南広江町)の少年、清水伊三郎14歳が清水川で遊泳中、足に触れた異物を拾い上げるとそれは寸余の黄金仏(薬師如来)でした。
そして、2代目城主松平忠政の母亀姫(家康の娘)が、清水川に浮御堂を建立しその黄金仏を安置して水上殿となったのです。
その後、元禄16年(1703)周意禅師が、沼を埋め立て現在の地に本堂を再建して今に至ります。
特に、この黄金仏は女子の加護にご利益があり「美濃の国の乳薬師」としても名高い。 」
本堂内でお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂内の引き出しに納経印が置かれていましたので、100円を納めいただきました。
場所:水薬師寺

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