2018
05/15
火
本日は三重県員弁郡東員町にある『猪名部神社』(いなべじんじゃ)へ行きました(^^)/
神社西側の公民館前に
車を停めて、北側の道路を通り入り口に向かいます。

まずは社務所の裏、敷地北側に「猪名部神社」と書かれた社号標がありました!
東向きに石製の第一鳥居になります(^^)/ 黒字に金文字の扁額が目立ちます!
第一鳥居をくぐり、まず最初に手水舎がありました。
銅葺き屋根の緑青がいい雰囲気を醸し出しています! 身を清めます。
第一鳥居よりは小振りな第二鳥居です。扁額もありません。
第二鳥居をくぐって、右手に「神楽殿」がございました(^^)/
金文字、金枠で第一鳥居と同じ形の扁額が掲げられています!
境内南東隅から本殿全景を望んでいます! 左の建物は舞殿です!
境内の北側には石垣が積まれた「高塚古墳」がございました。
「全国的にも古墳の多い神社として知られる。境内にある一大古墳は猪名部氏の墓で、散在した17基の内の最大のものである。元来は円墳であったが、明治41年氏子が石を持ち寄り石垣を積み、現在の六角墳になっている。また、その脇には白樫があり古墳時代のものである。1500年もの間この地を見つめ、悠々とそびえている。」
猪名部神社のHPより
ご本殿前に猪名部神社の由緒がございました。
「延喜式内社 祭神は猪名部造の祖伊香我色男命を主神とし、須佐之男命・天照皇大神をはじめ代々の祖神を祀る。
北側の御本殿は境内社で瑞穂神社と唱え明治41年春各地に鎮座した諸神を合祀された社である。
高塚天神と記された古墳は猪名部氏のお墓で大社の地名の如く昔は広大な境内中に散在した17基の古墳の最大のものである。
猪名部氏族の中からは春澄善縄朝臣を始めとして歴史に残る多くの偉人を輩出しているが鎌倉の時代に入って建久3年員弁大領であった郡司員弁三郎行綱が青少年の生気を鼓舞するため追野原で奉納した流鏑馬の神事は以来780有余年伝統を誇る郷土の奇祭として4月第一土・日曜の両日賑々しく厳修される。」
ご本殿の正面入口です! 右に「瑞穂神社」、正面が本殿、左に「舞殿」がございます!
「舞殿」です! 舞殿横の楠木に毎年4月東南アジアより「アオバズク」がやって来るそうです( ´ ▽ ` )ノ
ご本殿前に屋根付きの木製鳥居がございました。第一鳥居と同じ扁額も掛かっています!
横からの本殿を見ています(^^)/
神楽殿の裏側には、「薬師堂」と「閻魔堂」がございました!
「薬師如来は、北山田村にあった三百坊を有する員弁寺の大徳法住上人の作で同寺に安置されていたが、織田信長の兵乱が起こる前、尊信篤かった北大社村の早川忠右衛門がお告げを受けて早川家に安置供養したことから、難を逃れた。その後移転を繰り返し、昭和10年ごろ現在の場所に移ったとされる。歯痛の子どもがよくお参りしたという。
また、千年ほど昔より「えんまさん」の話が北大社に伝わったとされ、閻魔大王と役人が隣のお堂に祀られている。」
と説明がありました!
最後は上げ馬神事が行われる斜面です! 写真撮り忘れましたので…(^^;)
実際見るとかなりの坂になっていま~す(´ー`)ノ
上げ馬神事です!
上げ馬神事では同じ三重県の多度大社より歴史は古いそうです!
この社務所に電話番号が書かれておりましたので、連絡入れて御朱印を頂きました~(^^)/
場所:猪名部神社

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