2018
05/05
土
正覚院から、更に足を延ばして向かったのは『瑞龍寺』(ずいりょうじ)です(^^)/
昨年の夏に一度伺ったんですが、「座禅修業の専門道場」と言うことで"拝観はお断り"の立て札があり、中には入れず断念したんです。。。しかし年に1度、「ぎふ梅まつり」の日だけ無料拝観が行われる!そしてなんとその日だけ御朱印がいただけると言うことで、行ってきました~(≧∇≦)ノ彡
まずは、昨年の9月30日に行った時に撮った
写真にて、紹介していきます!

前面道路から入口部分です(^^)/ 左の寺号標には「金寶山 瑞龍寺」と書かれています!
山号は金寶山(きんほうさん)、寺号は瑞龍寺で、臨済宗妙心寺派の寺院となります。
わりと新しそうな総門(山門)です! 瑞龍寺と書かれた大きな看板札がかかっております。
右端には「新西国~」と礼所番号が書かれていますが、たぶん現在のものではないように思います(^^;)
総門を入ると参道の右側に瑞雲院、鶴棲院、臥雲院。 左側には天澤院、開善院、雲龍院の6つの寺(塔頭)がございます! 一番奥には雲水(禅宗の修行僧)の修行道場である僧堂へと繋がっております(^^)/
塀には「悟渓国師墓」「厚見寺跡」の説明書きがございました。
悟渓国師は応仁元年(1467)美濃守護代斎藤妙椿の援助によって瑞龍寺を開山しております!
まずは参道を進みながら両脇にある6つの塔頭を見ていきます。最初にあったのが「瑞雲院」です!
その向かい、参道左には「天澤院」がございました(^^)/
続いて、右側の2番目には「鶴棲院」、その向かいの「開善院」です!
瑞龍寺の山門手前には右に駐車場があり、その奥に「臥雲院」がございました!
左側の最後には「雲龍院」がございました(^^)/ ここは美濃新四国八十八ヶ所霊場にもなっておりますので、また後日訪問した内容を報告させていただきます!
参道一番奥にあり、ちょっと高い位置に「瑞龍専門道場」の看板札がかかっているのが今回の目的地です(^^)/ 山門は柵で閉じられ、「修行道場につき、拝観はお断り致します」と無情な立て札が建っております…( ̄▽ ̄;)!!ガーン 山門の向こうに見えるのが、左側が庫裡、右側が本堂(僧堂)になります!
右手の
駐車場奥に鐘楼堂がポツンとありました。

山門からは入れませんでしたので、山門付近から撮影した大庫裡です!
玄関(左)と美しい大きな僧堂です! 平成4年に改築されているようです。
さて、ここからは今回「ぎふ梅まつり」時に行った
写真になります(^^)/

瑞龍専門道場の山門は開放されています♪
先程の大庫裡の横には梅が咲き、ピンクの彩りを添えて更に雅びに見えます!
前回は玄関を正面から見ることは出来ませんでしたが、唐破風屋根の梁下に龍の彫刻がございました(^^)/
本堂奥にある一つは「大禅堂」と書かれた扁額があるので禅堂みたいです!(望遠でやっと見えた!)
手前の渡り廊下らしき建物屋根の、手前に向かう反り具合がなんとも…(・∀・)
正面の紅白のしだれ梅の後ろにある建物はよくわかりませんでした(^^;) たぶん禅堂だと…
僧堂全景になります!正面からは近すぎて入りきらなかったのでいいアングルはどうしても斜め横からになっちゃいますね(^^;) 正面から靴を脱いで拝観させていただきました!
御本尊の薬師如来さまにお参りをし、襖絵の「蒼龍図、瑞龍図」を拝見し、御朱印を書いていただきました~(≧∇≦)ノ
瑞龍寺の歴史は
「応仁二年(1468)美濃の国守斉藤利藤公(妙椿大居士)が、主君・土岐成頼公菩提の為当時大徳とあおがれた、悟渓宗頓禅師を迎え開いた。古く飛鳥時代より中林寺、厚見寺などと称した天台宗の寺が在り、その後廃寺となっていた由緒のあるところであった。
妙心寺四派中の東海派の祖、悟渓宗頓禅師は荒廃していた寺域を修し、文明二年(1470)に七堂伽藍を完成した。国師の禅風は、濃尾両国を中心に、全国に広がり、多くの法孫を育成し、東海派禅門の古道場として世に知られるところとなった。道場に於ては七百有余の雲衲(修行僧)を接得し、遂に九人の法嗣(師の法を伝えてその法統を嗣ぐ弟子)を打出した。
明應九年九月六日開山悟渓国師が示寂して以来、弟子達が一年毎に輪住し、寺は守られた。延亨四年、247年間続いた輪住制は終り、その後約60年間の空白期があって、文化三年(1806)隠山禅師に依って再興された。禅師の宗風は大いに振興し、隠山下九哲と呼ばれる傑物が輩出され、爾来百八十余年間その命脈が保たれている。」
御朱印
場所:瑞龍寺

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