2018
04/21
土
本日、最初の目的地は岐阜県揖斐川町市場にある『金剛寺』(こんごうじ)に行きました(^^)/
まずは広い駐車場に
車を停め、駐車場から境内側を見上げて
撮りました!


創建が昭和22年と浅い寺院ですが「市場の弘法さん」と呼ばれ親しまれています
入口には小さい寺号標に「高野山真言宗 金剛寺」と書かれた石柱と西美濃の石碑がございました(^^)/
山号は春日山、寺号は金剛寺、正式名称は春日山金剛寺で、真言宗の寺院になります!
西美濃三十三霊場の第三番礼所になっております
参道階段脇には数種類のノボリがたくさん建っていました(^^;)
手水舎にて身を清めます! 隣には水子地蔵もいました
お庫裡がある側からの本堂です!
正面からの本堂全体です! 手前の手摺がちょっと邪魔してました(^^;)
本尊は十一面観世音菩薩となっています!
本堂前です! 大悲殿と書かれた扁額が掲げられています
中に入ってお参りをさせていただきましたm(_ _)m
金剛寺の歴史は西美濃三十三霊場のホームページより
「今から約150年前の文政9年、小島村市場の内藤才兵という信仰心の篤い人が慈母の菩提を祀るため、大師像を作り同村の瑞岩寺に奉祀した。
時は流れて明治44年、温良院第14代住職の請により、大師像は同村黒田の寺院に奉遷し帰依されたが、その後また元の瑞岩寺に奉帰された。しかし養老の養老公園の守護と発展を願う人から弘法大師像のご安置を懇願され、大師像は再び瑞岩寺を離れることになった。
神経痛で足腰が立たなかった人が日夜南無大師遍照金剛と一心一向に帰依されたところ、不思議なことに元の健康な体に戻り幸福な生活を送ることができたということがあったといわれ、その霊験あらたかな話を聞いて、お参りする人の数も増えていった。
昭和14年、大師奉帰の縁から,再度瑞岩寺へ奉還。
信者の立木多満は長い間大師を一心に信心していたが、ある夜、夢枕に現れた大師の「市場は有縁の地なり、吾をその地に迎へよ」とのお告げに従い、昭和22年、内藤才兵有縁である市場にて大師をお迎えすることになった。昭和22年(1947年)、立木多満が大師像を端巌寺から、本尊を美濃国分寺から迎え、現在の本堂は昭和33年(1958年)に完成、翌年に入仏された。」
庫裡前には「白寿延命地蔵尊像」と「修行大師像」が見守っておられました(^^)/
御朱印は本堂内に書き置きがございましたので300円を浄財としておいて参りました
場所:金剛寺

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