2018
04/01
日
FC2の障害で2本のブログが飛んでしまった分の最後ですm(_ _)m
順番がちょっと入れ替わってしまいましたがあしからず(^^;)
御井神社を後にして、次は車で数分の所にある『佛眼院』(ぶつがんいん)に伺いました(。・∀・)ノ
木曽川の右岸堤防を下に降りた所の大きな駐車場に
車を停め、その駐車場でまず最初に出迎えてくれたのが不動堂です!「不動明王」の扁額が掲げられております!

佛眼院は本尊が不動明王ですので、ここに祀られているのかな??(^^;)
とりあえず本堂は、この山「不動山」標高87.5mの頂上にありますので登ります(^^)/
坂の入口には寺号標となっている石柱を発見!「矢熊山 佛眼院」の文字が!
山号が矢熊山で、寺号が佛眼院となり、真言宗醍醐派の寺院となります
反対側の入口には「成田不動 佛眼院」と彫られていました(^_-)
本尊の不動明王は千葉県成田山の御分身を祀られているとのことです(^^)/
駐車場側の寺号標を過ぎると石碑、石柱がたくさん出てきました!その一番手前には「前渡不動山」(まえどふどうさん)と書かれた大きな石碑がありました!
佛眼院でGOOGLE地図検索すると、表示された場所は「前渡不動山」と表示されております( ̄▽ ̄;)!!エッ?
そうなんです!佛眼院の通称「前渡不動山」は正式名称より通称で呼ばれることが多いんです(^^;)
さらに山を登っていきます!
所々にナンバーの付いた石仏88体が道中を見守ってくれます(^^)/
「南無 不動明王」と書かれたノボリも多くありました!
山中には「承久の乱」の供養塔がございました(^^)/
「承久の乱 両軍対陣図」には鎌倉幕府対京の朝廷の布陣が書かれており、圧倒的大差で幕府が勝ったようです!供養塔は恐いのが写ると嫌だったので撮りませんでした!(^^;)(笑)
15分程で頂上の境内に着きました()´д`()ゲッソリ・・・
手前から、水子地蔵尊、不動明王と石仏郡がございました
鐘楼堂です!1910年に建立されているようです!
狛犬の手前からの本堂です! この本堂は1900年に再建されているそうです!
右手には毘沙門堂がございました(^^)/ 横の大きな瓦も鬼瓦と言うのだろうか??(^^;)
左手には今回のお参りの目的場所である弘法堂がございました(^^)/
この弘法堂は1928年に建立されたそうです!
弘法大師と書かれた扁額が掲げられている弘法堂前にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m
美濃新四国のナンバープレートもございました!佛眼院は第二十五番礼所となっております
手前には美濃新四国の石碑と八十八ヶ所のお砂ふみ所もございました(^^)/
本堂全景です! 本尊は不動明王となっております
佛眼院の略縁起がございました
「当山に安置し奉る本尊不動明王は下総国成田山の御分身なり当地旧領主旗本坪内家(富樫左エ門の子孫)の家臣山本軍八郎 藤原盛行の一子、秀之助十七才の時、眼病のため両眼を失明し成田山に参籠して不動明王の御霊験により開眼し報恩のため発心「明心」と名づく。明治二十三年十一月十一日当所に勧請して諸人の厄除を祈る霊場となせり。
明治二十四年春、京都市醍醐山より土御門天皇建仁三年権僧正成賢御創建による豊臣秀吉公の御祈願所佛眼院を当時の御本尊阿弥陀如来(成賢の作で七百七十年程前)と共に当山に移転し安置する。
その後、盲目者の開眼したる者数多あり。
諸病の平癒せる者又多し、依って開運厄除・無病長寿・良縁幸福・家内安全・家門繁栄・交通安全等の守護佛として遠近、老若男女の参詣者絶えず今日に至る。」
とありました~
本堂前でもお参りをさせていただきましたm(_ _)m
扁額がかかってますが不動明王と書かれているのかな??…(^_-)
本堂から見た風景です!木曽川と愛知県江南市の辺りになるのかな?(。・∀・)ノ
納経印を頂きました~(^^)/
場所:佛眼院(前渡不動山)

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