2018
03/22
木
本日は三重出張ついでの御朱印詣でとして『川併神社』(かわいじんじゃ)に行きました(^^)/
場所は三重県津市久居元町にありまして、前回の三重出張時に訪れた「野邊野神社」からちょっと南に位置する所にございます!
まずは南側にある入り口廻りです!
道路に面した入り口は敷地が若干高くなっているため階段がございます
右には社号標である石柱に社名の「川併神社」が刻まれています!

階段を上った所にあった第一鳥居は木製でできております(^^)/
苔生して、いい風合いが出ています!

境内参道です!参道両側にある何本もの巨木が神聖さを醸し出しています!

第二鳥居です!こちらは石製になっています!こちらはちょっと古そうです(^o^)

第二鳥居くぐって右側にございました手水社にて身を清めます

続いて左側には境内社(摂社か末社か不明)である稲荷大明神がございました!

拝殿です!拝殿前にある常夜灯は本当に灯っていました(^^)/
戦国期に荒廃していたと記述がありましたが、寛永二年(1625)に現在の本殿を建立、また元禄4年(1691)には現在の拝殿が完成したとあり、300年以上の歴史があるようです!

祭神は「天忍穗耳命 天之菩卑能命 天津彦根命 活津日子根命 熊野久須毘命、多紀理毘売命 市杵島比売命 多気都比売命 建速須佐之男命 天照大神」と神様のオンパレード…
ですが、あってるのかな…(^^;)
金文字で「川併神社」と書かれた扁額が掲げられている拝殿前でお詣りをしました(^^)/

先程の拝殿前にいた狛犬ですが、、、
なんか毬(まり)みたいなのを、前足で押さえているのが不思議で撮ってきました(^^)/

境内には由緒の看板もございました

由緒
「当社は式内社に列せられているが、創祀は詳かではない。当社には寛永二年(1625)三月二十九日を最古として江戸時代の棟札を二十五枚伝えるが、その寛永二年のものに「野辺惣社」とみえ、久居城下設置以前、当時の村域の氏神であったことが知られる。
戦国時代、荒廃に帰していたが、寛永元年(1624)に工を起し、同二年現在の本殿が造立され、また同7年には山城国宇治郡木幡神社より八王子を勧請して配祀された。また拝殿は元禄四年(1691)の造立で、久居藩主参列のもと盛大な完成式典が斎行された。
明治六年には村社に列せられ、同四十四年には各支郷の神社を合祀して現在に至っている。」
本殿の造りをと「当地方に稀に見る古風な一間社春日造(いっけんしゃかすがつくり)の様式を伝えている~」と書かれた看板まで用意されていましたが、囲われててあまり見えませんでした(T_T)
華麗な彫刻が施されているようです(^^)/

社務所に行く途中に「山神」?様が祀られていました!
土地神様かなぁ?? 何故ここに存在するのかが不明です…(^^;)

実は2週に渡って2度ほどお伺いしてたんですが、中々宮司さんと時間が合わず書き置きを残して帰ったんですが、、、なんと後日残してきた封筒で御朱印を送っていただきました~(^^)/
それがこれです↓↓

場所:川併神社

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