2018
02/22
木
何故、尾張国と言う一つの国に二つの一之宮が存在するのかはわかりませんが、両社は「相殿」で「対の宮」、つまり二社で一つの「一之宮」だそうです!現在は式内社(名神大社)で、旧社格は郷社になります!
街中の住宅街の一角にある大神神社は、ホントに一之宮??ってくらい、ひっそりと佇んでいました(^^;)
まずは、入口です! 「式内社 大神神社」と刻まれた石柱がございました(^^)/

入口すぐのところに石製の鳥居がございました!
参道正面の奥には真清田神社と同様に神馬が伺えます!

鳥居の左手前、常夜灯の前に一宮市指定文化財である木造狛犬彫刻の説明板がございました!

鳥居をくぐった左手には御神木のクスノキがございました

境内の全景です!奥にある桃色の建物が拝殿になります!

ピンク色の拝殿です!(^^;) 扁額には「大神大明神」と書かれていました
祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)となります(^^)/

拝殿の右側には「大神神社の由来」がありました!

「崇神天皇の時代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。大和国の一の宮大神神社の祭神で、三輪の神と呼ばれ、大国主神(大黒様)の別名がある。
大和の大神神社とおなじく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。鎮座地の花池は水が美しく蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。
奈良時代に国司が赴任して、国中の神社を代表として国府宮の尾張大国霊神社を尾張の総社に指定、次いで花池の大神神社と真清田神社をまとめての『相殿・対の宮』と言うことで『尾張の一之宮』に指定した。文徳実録・尾張国帳には従一位大明神とあり、三宮明神・三明神へ神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があったと称せられ、延長5年延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾張の国中には、大明神8座、小123座あって、当時の大明神8座の内の一座である」
拝殿にてお詣りをさせていただきましたm(_ _)m
奥に見える流造りで緑色の屋根が本殿になります(^^)/

今回はたまたまだったんでしょうか?人のブログを読んでますと、別の場所へ行かなければいけないみたいなんですが、、、社務所にて御朱印をすぐにいただけました~(≧∇≦)ノ

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BEFORE「尾張国一宮の真清田神社」
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