2018
02/20
火
本日は愛知県一宮市にある『真清田神社』(ますみだじんじゃ)に行きました(^^)/
標題にもありますように、創建は詳らかでないですが、中世には尾張国の一宮に位置づけられ、一帯の地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来します(^^)/
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社となっております!
まずは南側の正門部分に社号標となる石柱に「真清田神社」と大きく刻まれています

つづいては石製の鳥居です!
2月ですが、まだ初詣ののぼりも建てられていました
大きい神社になりますと第一の鳥居、第二の…とありますが、ここはこれのみでした(^^;)

鳥居をくぐると正面にあったのが反橋です!
手前には石柱に「神橋不可渡」と書かれています(^^)/
神様が通られる道なので、人間は渡ってはいけないんですね~(^^;)

神橋の横を通り過ぎ、神橋の正面に構えるのが楼門です!昭和36年に再建されております!
扁額には「真清田大神」の文字が書かれていますが、その扁額には伝聖武天皇ご宸筆の旧額を模して、人間国宝平櫛田中氏が彫刻を施しています(^^)/

楼門をくぐるとうっすら雪が残った広い境内に入ります!
正面の建物が拝殿になります(^^)/

手水舎です!
昭和20年の空襲において焼失を免れたそうです!吐水龍は、寛永8年(1631)初代尾張藩主徳川義直公奉納によるものです!現在はレプリカだそうです(-∀-)

「神水舎」と書かれております(^^)/
明治11年10月25日、明治天皇が一宮を巡幸されご昼餐の際、この井戸水を御膳水として陛下に奉られたそうです!

神馬の像です!
紀元前628年に生きたここの御祭神である天火明命(あめのほあかりのみこと)の愛馬とのこと(´ー`)ノ

拝殿の横に真清田神社の御由緒が書かれた立て札がありましたので


「神社名 真清田神社 祭神 天火明命 鎮座地 愛知県一宮市真清田一ノ一 例祭日 四月三日(桃花祭) 当社は尾張国一宮にして、祭神天火明命は天孫瓊々杵尊の御兄神に 坐しまし国土開拓、産業守護の神と して御神徳弥高く、この尾張国はもと より中部日本今日の隆昌を招来遊ば された貴い神様であります。」
詳しい由緒については真清田神社のホームページにて(^^)/
拝殿です! 一宮空襲で焼失したため、昭和32年に再建されております!

真清田神社の歴史です
「神武天皇33年3月3日鎮座したとある
承和14年(847)11月従五位下『続日本後紀』
仁寿元年(851)11月官社『文徳実録』
同3年(853)5月従四位下『文徳実録』
貞観7(865)年7月16日正四位上『三代実録』
鎌倉時代には順徳天皇が当社を参拝している。
天正12年(1584)大地震で社殿が崩壊
寛永4年(1627)藩主徳川義直から105石余の寄進を受け、336石6斗余の社領
寛文5年(1665)4代将軍徳川家綱から朱印状
明治18年国幣小社
大正3年に国幣中社」
拝殿前にてお詣りをさせていただきましたm(_ _)m
摂社の一つである「服織神社」(はとりじんじゃ)です(^^)/

真清田神社の主祭神「天火明命(あめのほあかりのみこと)」の母神である「萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつりひめのみこと)」をお祀りしています
七夕伝説の「織姫」と同一と考えられているため“縁結びの神様”としても信仰されているみたいです!
後で気づいたんですが、実はこの服織神社も御朱印がいただけたみたいなんです…(゚△゚;)ガーン
なので、今回紹介はなし!(笑)次回もらったときに(^^)/
立派な社務所です! 唐破風の玄関庇がかっこいいです(^^)/

末社の一つである「三八稲荷社」です!こちらも大変立派なのですが御朱印はないようです(^^;)
社名「三八(さんぱち)」は、戦前まで真清田神社社前で開かれた織物中心の市「三八市」に由来するそうです!

御朱印です!

場所:真清田神社

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