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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2018 02/16

美濃新四国八十八ヶ所の慈恩寺


本日2ヶ所目は岐阜市柳津町高桑にある『慈恩寺』(じおんじ)に行きました(^^)/


まずは入口横の駐車場に車を駐車し、入口前からの全景です!

慈恩寺 入口石柱

右側の石柱には「臨済宗妙心寺派 高桑山慈恩禅寺」と刻まれています(^^)/

これでここ慈恩寺は臨済宗妙心寺派で、山号が高桑山の寺院と言うのがわかりました♪





左側の石柱には「美濃新四国霊場第三十六番礼所 本尊 十一面観音菩薩」と刻まれ

美濃新四国八十八ヶ所の第三十六番礼所とわかります!
本尊は十一面観音菩薩となっているのがわかりました(^^)/

慈恩寺 美濃新四国石柱



また本尊は岐阜市の指定文化財となっており、看板に由来が載っていました!
この詳しい内容のホームページ「慈恩寺の十一面観音菩薩」がありましたのでリンクを貼っておきます(^^)/

慈恩寺 文化財看板



境内の参道になります!突き当たりに見えるのが観音堂のようです!

慈恩寺 境内参道



境内内の建物全景になります!
右側がまだ真新しい本堂で、左が観音堂です!

慈恩寺 建物全景



本堂は平成13年に新しくされたようで、現代風の立派な容姿になっています

住職は不在でしたので中でのお参りはできませんでした(^_-)

慈恩寺 本堂

慈恩寺の縁起が記された文書をいただいてきましたので書き留めます(。・∀・)ノ

「当山の縁起を按ずるに800年の古安徳天皇西海に沈み給ひ驕る平家久しく保ち羪く茲に八幡大郎五代の孫源頼朝公父祖の家名挽回の好期を逸せじと伊豆の館を出で給ひし頃(1,800)高桑村地内に誰の志願にてや所謂七堂伽藍の善光寺が建てありしと古老は語り次ぎ諸家に蔵れ居りし古文書に依り察っし得たり(由来当寺は無本の古刹と称す)司人此の地に土着豪族となり此処にも欺く大寺を建立せしと覚ゆ。その内に観音院あり観音大士を祀る之即ち慈恩寺の前身にして、以来源平の合戦は処々方々に起り此の地又兵火の災を蒙ること即ち墨俣合戦坂巻合戦などあるを見て明らかなり。(養和元年3月10日)惜しくも当地の善光寺以東寺など或は焼かれ破壊されしが此の観音大士のみ諸人の守りに力ありて災を免れがれ給う。之甚だ稀有となす処なり。古文書縁起を見れば大仏工運慶の一刀三礼の尊像なりとあれば左もある可きか。然かあれど堂の建つるなく間方の草堂に安置せしと云う。時に人あり高桑山慈恩寺を建て此の尊像を安置し奉る延徳元年なり。此の尊像は古来より庶民の尊崇実に厚く大悲又幾多の奇瑞霊応あり。霊験あらたかなりとて門前市を成したと伝えられるは此の時からか。弘誓の成願実に有難しと言ふ可し。然る処弘治永禄の(2,217)井ノ口(岐阜)城攻略を果せし織田信長公は井ノ口繁昌の為小熊の地蔵尊と当村の観音大士を兵をして持ち出し給うに途中にて大盤石の重さとなり如何とも出来ず三日三晩捨て置きしに五色の雲来たるや大光明を放ち虚空に舞上り忽然と元の御座に戻り給ふとあり、又明暦の頃盗人尊像を我家に持ち行きしに昼夜家は震動し光明は家中に輝き渡り盗人は悩乱すると云うことで尊像を元へ返せしと。欺く尊き仏体も幾多災難と星霜を経給へば古び傷み給ふも是非なく享禄永禄明暦寛永その折々或は尊台円光或は頂上仏持宝蓮華を修復し奉ることあり。茲に尊像の偉容巍々たること元の如くなり大聖薩陲の梵相端厳実に大慈大悲の妙相備はり瞻仰自ら慈眠に接し妙法を聞くの思ひを起さしむ観世音となり給ひ今日に至ると云爾。よくよく御参詣あり尽未来の結縁を給はれよ。昭和51年7月 記 山主白」

昔の言葉使いで書かれていますので、イマイチ読みにくかったです…(^_-)


観音堂になります! 大師堂と書かれているブログも散見されます(^^;)

この観音堂の基礎になっている部分は、この場所から100m程南にあった「高桑城」の石垣を利用して造られているそうです(。・∀・)ノ

慈恩寺 観音堂



観音堂の扁額には「高桑山」と書かれています!

中は入ることはできませんでしたので、手前にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m
左下にある引き出しに納経印がございましたので、賽銭を入れ頂きました(^^)/

慈恩寺 観音堂前



慈恩寺の納経印です

慈恩寺



場所:慈恩寺


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