2018
02/06
火
前回ブログで伺った「花王院」の後は、西に1キロ程の所にある『修学院』に行きました(^^)/
まずは、入口前の全景です! 日陰のせいで前々日くらいに降った雪が参道に残っています

入口の石柱には「真言宗智山派 金鏡山 寳積寺 修学院」と書かれています!
寳積寺は(さいせきじ)でいいのかな?(^^;)
山号は石柱にあるように金鏡山で、真言宗智山派の寺院とわかります

美濃新四国は第四十九番礼所となっております!
おなじみのナンバープレートと美濃二十一大師霊場の石柱もございました(^^)/

山門はございませんでしたが、久しぶりに縁起を見つけたので記しておきたいと思います!

修学院の縁起は
「当山は文治二年一月二十日(1186)」遷化した養道大和尚の開基とされ、真言密教の寺として代々続くも十九世「関谷随応和尚」が明治二十年十月二十五日(1887)遷化後、無住となる。
明治二十四年十月(1891)「濃尾大震災」により、堂宇ことごとく損壊し廃寺同様となる。
明治三十年一月(1898)西濃赤坂「金生山 明星輪寺」前住職「役円海和尚(尭栄和尚)」当院檀家諸氏の特請を受け入山住職となる。
明治三十七年一月(1904)から本堂再建にかかり、明治三十八年十月十七日(1905)入仏式挙行、仏器・什賽物を新調し新進の寺院として仏法興隆に努力する。
明治三十一年二月(1899)「星まつり」祈祷を始め、多くの信者を集める。後の住職の努力により護摩堂(不動堂)・鐘楼・客殿等伽藍を建立整備し、二十四世「役快隆和尚」代、平成十五年(2003)本堂屋根銅板一文字葺きに改め、位牌堂・六地蔵堂・永代供養墓・水子子育地蔵尊・墓地を整備し、手水舎・駐車場を設置今日に至る。」
キレイに整備された手水舎です!縁起では平成15年に建立したと書かれていました

本堂全景です! 手前の松が邪魔…(^_-) (笑)
本尊は大日如来になります!
縁起には内仏として「胎蔵界大日如来」、前立として「金剛界大日如来が」がございます

本堂前です! お参りは本堂内にてさせていただきましたm(_ _)m
右手には八十八ヶ所のお砂ふみ所もございました(^^)/

縁起にある護摩堂とか鐘楼はどこにあったんだろ?(^_-) 裏にあったのかなぁ
写真の稲荷は摂社だとは思いますが、縁起にはのってなかったですし…(^^;)

納経印は中でお参りしている時に住職の方が見えていただくことができました

場所:修学院

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BEFORE「美濃新四国八十八ヶ所の花王院」
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