2018
01/07
日
前回は第3番礼所を紹介し、真向かいにある第4番礼所に行きましたが…
ここもまたお留守(^^;)でした
頭を切り換えて第5番礼所の『善澄寺』(ぜんちょうじ)に行きました(^^)/
ここの寺院も資料らしいものがあまりありませんので写真のみで報告します
まずは入口の門柱です!両脇に美濃新四国のナンバープレートが付いています
美濃新四国ののぼりも立てられています
左側の石柱には「立江地○○ 善澄寺」と読めます、、、○は達筆すぎてよくわかりません
立江地蔵尊かなぁ…(^^;)

残念ながら本堂の改修中でした( ̄▽ ̄;)!!ガーン
山号はある一つのブログに「立江山」とありましたが、真偽はわかりません(^^;)
浄土宗西山禅林寺派の寺院です!本尊は阿弥陀如来となっています(^^)/

本堂正面の庭園です!石仏や燈籠がございました(^^)/

本堂正面です!穴が開いてるところがありましたのでお賽銭を入れてお参りしました
扉は閉まっていました(^_-)
納経所と書かれていますが、本堂かと思います(^^)/

一番最初の写真にある正面の建物が庫裡だと思いましたので、
訪ねたら住職らしき人がおられ専用納経印をいただくことができました~(^^)/
*2018/5/6追記です(^^)/
前回(2017年12月2日)伺った時は本堂の大改修中で、まともな写真が撮れませんでしたが。。。
今回、同じ伊奈波通まで来たので寄ってみましたら、大改修も無事終わり綺麗な状態でした!
狭い参道を入って行き、奥に本堂があるのですが、手前の建物が邪魔をして全景は撮れません(^^;)
参道突き当たりが、前回納経印をいただいた庫裡兼住居となっています。
由緒が掲示されていましたので記しておきます(^^)/
善澄寺の由緒は
「浄土宗 西山禅林寺派(永観堂) 普照山善澄寺
御本尊 阿弥陀如来
美濃新四国八十八ヶ所霊場 第五番礼所
創建 天正3年3月24日西暦1575年に、第一代光空智普大和尚様が開山された。
◎戦国時代が終わり安土桃山時代に入り、天正3年に三河の国の長篠城をめぐり織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼の群勢が戦った長篠の合戦があった年。
◎織田信長の命名説では「井口を改めて岐阜とする」とした年です。
美濃新四国八十八ヶ所 江戸時代後期(1800年代)岐阜市と周辺美濃地区一帯に広がる霊場で、空海ゆかりの寺院で構成されています。戦前戦後は一時衰退。しかし、昭和50年に復興し、現在では多くの参拝者が巡っておられます。
京都永観堂の西山禅林寺派の傘下に入る。(国内傘下356寺 時代は確認出来ず)
明治45年第二十八代諦空真乗上人時代に現本堂を建築されました。(竹106年)
平成4年庫裡の建て替えと住職の住まい新築
平成30年第三十五代長間玄朗住職の元に平成の大改修が行われました。」
と書かれていました(^^)/
大改修された本堂の玄関周りと本堂です! 白壁がとても綺麗でした。
由緒にもありましたが、今回山号が「普照山」と新たにわかりました~(≧∇≦)ノ
由緒も掲示していただき、資料としてまとまった感が出ましたので感謝です♪

この記事と関連する記事
AFTER「名古屋のパワースポット 熱田神宮」
BEFORE「美濃新四国八十八ヶ所の法圓寺」
COMMENT