2018
01/03
水
今日は午後2時からの行動となったので、ここ『善光寺安乗院』に着いたのは午後3時でした!
前回ご紹介したのは3月23日だったので8ヶ月以上前になります(^^;) 前回ブログ
やはり最初の頃は写真も少なけりゃ、説明も何もなし…(^_-)
と、言うことで今回はちゃんと報告したいと思います(^^)/
まずは前回とほぼ同じアングルから撮った全景です!

本堂前にある常夜灯と、美濃新四国八十八ヶ所の石柱がございました(^^)/
第一番霊場と刻まれております!

その横にある祠は善光寺大黒天ののぼりがありますので七福神の大黒天が祀られてるのかな?
石柱には「善光寺如来別霊場」とありますが…たぶん分身だからでしょうか?

本堂前です!お参りをさせていただきましたm(_ _)m
扁額は「照十方」と読むのかな?(^^;)
山号は愛護山です!真言宗醍醐派の寺院になります
本尊は善光寺如来になります(^^)/

善光寺安乗院の由緒は
「戦国時代、甲斐の武田信玄公は信濃善光寺から善光寺如来様を持出し、甲府に新善光寺を建立しお祀りしました。
信玄公が没すると、織田信長公によって岐阜に迎えられます。
本能寺の変後は、信長公の次男織田信雄公により尾張の甚目寺に、豊臣秀吉公によって京都の方広寺に、徳川家康公により遠江浜松の鴨江寺に移され、そして信濃善光寺の本所にお帰りになったのであります。
この様に信長公時代に善光寺如来がお祀りされていたこの岐阜伊奈波の霊跡に、信長公の嫡孫織田秀信公は、稲葉善光寺堂を建立し、善光寺如来様の御分身をお祀りされました。
それを安乗院と満願寺によって護持されて来たのですが、明治の廃物棄釈・神仏分離によって伊奈波神社の別当であった満願寺は廃寺となり、その後は安乗院が単独でお護するようになったのです。
今でも善光寺安乗院は、岐阜伊奈波の善光寺として、宗派を超えて親しまれています。」
本堂より北の山側にある弘法堂(大師堂かな?)の全景です!
こちらは新しく建立された感じです

弘法堂前にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m
こちらの扁額には「弘法大師、不動明王、秋葉大権現」の文字が伺えます
秋葉大権現があると言うことは神仏習合の名残ですかね(^^;)

今回は美濃新四国の納経帳1冊400円の購入と専用の納経印1枚100円を頂いてきました~(^^)/


場所:善光寺安乗院

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