2017
12/20
水
本日は家から

まずは5キロ程歩いた場所にある『乙津寺』に向かいました!
今回、乙津寺は2回目の訪問になります(^^)/
前回は3月12日に伺っていますので、半年以上ぶりになります 【前回の乙津寺ブログ】
その時は美濃四国の御朱印をいただいたのですが、
最近、美濃四国の御朱印は専用納経印としてB5サイズの納経帳まであると言うことを知りまして(^^;)
是非それをもらってこようかな~となりました(^^)/
それと、美濃三十三観音霊場の御朱印もあると知りましたので(^^;) ←遅い…
前回のブログ読みましたが、まだ始めたばかりなので情報が少ない…(^^;)
今回は以前お伝えできなかった情報も発信したいと思います(^^)/
まずは、前回と同じ構図の「南大門」です!
石柱には「弘法大師」とだけ書かれております

南大門の下には山号となる「瑞甲山」の扁額が掲げられております

南大門へ入る前の西側には、「観音寺」がございました(^^)/

南大門をくぐると、斜め西に大師堂へ向かう石畳の通路があります
その横にある手水舎にて清めます!

今回は「東大門」も確認してきました(^^)/
こちらの石柱は「新高野山 梅寺」と刻まれています

東大門からの境内参道突き当たりに大師堂が伺えます(^^)/

前回は斜めからの大師堂でしたが、今回は正面からの大師堂です!
「鏡島弘法」と通称で呼ばれることが多いこの寺ですが、
「美濃三弘法」の一つで第三番礼所になっております!
また、美濃四国八十八ヶ所霊場の第四十四番、美濃西国三十三観音霊場の第十九番になっています!

乙津寺の沿革が石碑に刻まれていました

「聖武天皇の時代、天平10年(奈良時代738年)行基菩薩は当時孤島であった乙津島に着船、草庵を開創されました。弘仁4年(813年)弘法大師は嵯峨天皇の勅命を受けて秘法によりこの地を桑田に変え、弘仁5年乙津寺が造営されました。弘法大師は散杖(さんじょう 杖状の仏具)の梅を培い「この地に仏法が栄えればこの杖に枝葉も栄える」と言われ、その梅から枝葉が出たことから乙津寺は「梅寺」といわれています。昭和20年の空襲によって本堂、大師堂、庫裡、宝庫、鐘楼等が全焼しましたが、木造十一面千手観音立像をはじめとする重要文化財指定の仏像は住職によって避難して無事でした。鏡島(かがしま)の弘法さんとして親しまれている乙津寺では、毎月21日の弘法さんの命日になると縁日が開かれ大勢の人で賑わいます。特に1月21日の「初弘法」は一段と多くの人で賑わいます。乙津寺のすぐ裏手には長良川が流れています。お参りをした後で街並よりも一段と高くなっている堤防に登ると、金華山や岐阜の街が一望出来ます。また対岸への「小紅(おべに)の渡し」は、今も残る手漕ぎの渡し船として近年特に注目を集めています。」
大師堂前にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m

ここからは前回お伝えしてなかった境内内の建物等を見てきましたのでお伝えします(。・∀・)ノ
まずは、「国宝安置殿(本堂)」です!
国の重要文化財である「木造千手観音立像」(十一面千手観音菩薩)が本尊として祀られています

その横には「五福堂」がございました(^^)/
大黒天、福禄寿、恵比寿、布袋、寿老人を祀っています!

その奥には「不動堂」がございます!本尊は不動明王像になります

乙津寺の境内図では「御影堂」は旧玄関だったようです!

最後に楠の御神木になります!岐阜市の保存樹です

納経所に伺い、美濃四国の専用納経印があるか聞くと出してくれました(^^)/
1枚どこでも100円でいただけます♪
今度は1番礼所に行って専用の納経帳を買ってこようと思います
今回書いていただいた美濃西国三十三観音の御朱印と

美濃四国八十八ヶ所です

場所:乙津寺

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BEFORE「美濃西国三十三観音の願成寺」
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