2017
12/12
火
真禅院を後にして、次に向かったのは『美濃国分寺』です!
高野山真言宗の準別格本山で、山号は金銀山です!
正式名は「金銀山 瑠璃光院 国分寺」となります(^^)/
川の橋手前から、山門を含む全景です!

橋を渡った欄干の際に、西美濃三十三霊場第三十三番札所の石碑がありました(^^)/
国の重要文化財に指定されている「木造薬師如来座像」の彫刻もあるみたいです

山門です!両脇に仁王像がありますので、仁王門かな?(^^;)
石柱には「準別格本山 美濃 国分寺」と刻まれています!

仁王門には阿吽の金剛力士像が睨みを利かせています!
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仁王門をくぐった境内で

右の建物は庫裡兼住居、正面に本堂、左には手水舎があります!

仁王門をくぐった左手に鐘楼堂です!まだ新しく、再興された見たいです

左側には観音様、右側には水子地蔵がおられました(^^)/

美濃国分寺の縁起がございました(^^)/

「741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔が発せられる。美濃国分寺は美濃国府中(現:不破郡垂井町)に近い青野ヶ原(現大垣市)に建立される。775年(宝亀6年)に暴風雨で破損したという記録があり、この頃には建立されていたと推測される。 887年(仁和3年)、火災で焼失。本尊などは運び出され、一時美濃国席田郡(後の本巣郡の一部)の定額尼寺(旧糸貫町、現本巣市に存在と推測される)に移転する。再び元の地に再建され、1004年(寛弘元年)、美濃国司源頼光により修復されたという記録がある。しかし、南北朝時代の1338年(延元3年/暦応元年)の青野原の戦いなどの戦乱で焼失し、本尊も行方不明となる。
本尊薬師如来像は、江戸時代初期、真教上人が土中から見出したものと伝える。1615年(元和元年)、旧美濃国分寺の北東に、金銀山瑠璃光院美濃国分寺として再興される。」
国指定の重要文化財である「木造薬師如来座像」の説明は
「木造薬師如来坐像 - 高さ304.8cm。寺伝に行基の作というが、実際には平安時代後期の作とみられる。伝承によれば、ケヤキの大木を行基が自ら一刀三礼をし、彫り上げたという。「馬だらい薬師」の別名があり、土中に埋没している際、背中のくぼみが土中から出ており、このくぼみに水を溜めて馬の足を洗うのに使用していたという話が伝わっている。」
本堂です!開基は行基になります(^^)/ 上記の薬師如来が本尊です
現在の美濃国分寺は江戸時代初期の再興となります!
ここの国分寺南側には美濃国分寺跡があり、美濃国分寺跡歴史公園となり国の史跡となっています!

本堂前です!お参りをさせていただきましたm(_ _)m

境内の西高台には「大師堂」がございました(^^)/

その上には「白髪稲荷大明神」がございました!

「南部観音堂」も大師堂の南にございました!双方でお参りさせていただきました

境内東側から本堂を含んだ全景です!本堂奥には近代的な収蔵庫がありました!

庫裡にお声掛けさせていただき、御朱印を頂きました~(≧∇≦)ノ

場所:美濃国分寺

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