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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2017 11/04

郡上おどりと安養寺


続いては郡上八幡城の山道登り口にある『安養寺』(あんにょうじ)に行きました!

安養寺は境内が有料駐車場と言うこともあり、停めて各寺院を歩いてまわることにしました(^^)/


まずは一旦外に出て、歩いて入り口まで戻ります!(^^;)

石柱には「真宗大谷派 安養寺」の文字が刻まれています!階段奥が山門です!
山号は「遠郷山」!郡上御坊とも呼ばれ、郡上一帯における真宗大谷派の中心的な寺院です

安養寺 石柱



山門です!境内が駐車場なので山門裏には車が見えます!(^^;)

安養寺 山門



山門をくぐって左側には広い境内(駐車場)があり、正面に本堂がございます!

安養寺 境内



左手には鐘楼堂がございました!

安養寺 鐘楼堂



本堂正面です!

間口、奥行き共に16間(約29m)の本堂は岐阜県下で最大といわれています!

安養寺 本堂①



安養寺由緒が書かれた石碑がございました(^^)/

安養寺 縁起

安養寺沿革は下記に

 「安養寺の開基は、近江源氏佐々木高綱の三男高重が出家して、
 親鸞上人の弟子となり法名を西信と賜い、康元元年(1256)江州蒲生郡に一宇を建築し安要寺と称した。
  なお、佐々木高綱は宇治川の合戦で有名であるが、
 この先陣争いの相手梶原景季の乗馬磨墨は郡上の気良の産と伝えられている。

  安要寺六代仲淳が、美濃安八大槫庄安養寺釈仲淳に、
 この御影を授けるという実如直筆の裏書きのある親鸞上人御影も伝わっている。
 実如上人は本願寺八世蓮如上人の五男で、本願寺九世の法統を継いだ人である。

  以後、明治19年佐々木家廃絶まで20代の住職が法統を守り、寛文6年(1666)昇級院家、
 天保8年(1837)御坊分に昇格した。安養寺7代了淳の時代、越前穴馬から、
 天文5年(1536)大島村野里へ移転し、天正6年(1588)稲葉定路が郡上領主になったとき
 八幡中坪村園野へ移り、更に、本堂焼失を期に明治14年に八幡城三の丸跡地(現住所)に移転、
 明治23年本堂を再建した。その後、大正8年の大火で消失、昭和11年再建され現在に至っている。」


西南側からの本堂です!

安養寺 本堂②



本堂の大きさに圧倒されますが、屋根下の組子細工のような彫刻や化粧も素晴らしいです!

安養寺 化粧彫刻



本堂内でお参りをしました! 本尊は阿弥陀如来になります!

安養寺 本堂内


郡上八幡には有名な郡上おどりがあります!
郡上おどりは、郡上八幡で開催される伝統的な盆踊りで、日本三大盆踊り、三大民謡(郡上節)に数えらます!

毎年7月中旬から9月上旬にかけて33夜にわたって踊られ、日本一のロングランの盆おどりです
踊り会場はひと夏で市街地を一巡し、城下の町並みの中や辻の広場で踊る日もあ れば、
昔ながらに神社の境内が会場になる日もあります!
ここ安養寺でも「むかし踊りの夕べ」など各種催し物が開かれています!

安養寺 郡上おどり

郡上おどりのホームページから勝手に転載しました!ありがとうございますm(_ _)m



駐車場入り口側には宝物殿と立派な庫裡がございました(^^)/

安養寺 宝物殿と庫裡

安養寺宝物殿には「絹本著色阿弥陀如来像」など沢山の文化財が展示されているようです!

安養寺 宝物殿案内



時間の関係上宝物殿の見学はしませんでしたが、(因みに有料です(^^;))
御朱印だけ購入(バラのみ)して来ました~(≧∇≦)ノ

安養寺


場所:安養寺

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