2017
11/02
木
本日は御朱印集めをするようになって、初めて岐阜県郡上市にやって来ました(^^)/
その一ヶ所目に『郡上八幡城』(ぐじょうはちまんじょう)に行ってきました!
郡上八幡城は、標高354mの八幡山山頂に立つ4層5階の城です!
別名は積翠城、郡城、虞城とも呼ばれています(^^)/
天守閣からは郡上八幡の町並みが一望でき、武具や馬具など貴重な収蔵品も展示されています!
まずは八幡山の山頂付近にある駐車場まで車

城郭の手前に郡上八幡城案内図がございました(^^)/

隅櫓の後ろが天守閣になります!櫓前を右に階段登ると売店があります!

売店前に「八幡城の沿革」がありました!

「永禄2年(一五五九)遠藤盛数が東殿山(市街地南方)の東家を滅し八幡城を築いたのがこの城の創始である。後、秀吉が天下を統一し、領地二万石を没収せられて加茂郡小原に転封され稲葉右京亮貞通が城主となり、城郭を修築して天守台等を設けた。やがて関ケ原合戦が起ると遠藤慶隆は家康に味方し、 慶長五年(一六〇〇)再び遠藤氏が城主となった。
元禄五年(一六九二)遠藤氏後嗣なく没収せられ常陸より井上正任が城主(四万石)となって来封したが、 間もなく同十一年金森頼時(かなもりよりとき)がこれに代って封せられた。
宝暦八年金森頼錦の晩年になって失政のため農民困窮甚だしくついに金森騒動宝暦義民の一揆が起り、 そのため一家は断絶され、同年丹後国宮津の城主青山幸道(あおやまよしみち)が代って郡上藩主となり、 八幡城下四万八千石を領することになった。
その後藩政よく治ってその後明治維新によって廃城となり、昭和八年旧跡に模擬天守閣が作られたのである。」
売店にて大人310円で入場券を買い城門に向かいます!

門をくぐって左手に奥の院がございました

南から見た天守閣です(^^)/

現在の天守は大垣城を参考に昭和8年(1933年)模擬天守としては全国的にも珍しい木造で造られました!
本天守は現存する木造再建城としては日本最古だそうです!
石垣が岐阜県史跡に、天守が郡上市有形文化財に指定され、内部は歴史資料館などとして利用されています
山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりにそびえます!
城自体は小規模ですが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しいです
朝霧に浮かび上がる八幡城が【天空の城】として話題となった、郡上八幡城のイメージポスター【積翠城の夜明け】

郡上八幡城ホームページより転載(^^)/
堀越峠の頂上付近から、条件があえば上の写真のように撮れるそうで~す(≧∇≦)ノ
これも同じく南からです、右側に城内入り口があります

城内入り口に入ると歴代城主の旗が飾られていました

木造建築と言うことで、木構造がわかる写真を1枚(^^)/

天守4階から城門と隅櫓がわかる城内です!

山に囲まれた郡上八幡の街並みです

城門を外に出て城の北側にある「凌霜の森」に向かいます!

郡上藩の幕末維新「凌霜隊」の慰霊碑がございました
北側から見た郡上八幡城の天守閣です!

郡上八幡城の御朱印は売店にて買うことができます(^^)/

場所:郡上八幡城

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