2017
10/31
火
本日のラストは以前お伺いした『大龍寺』(だいりゅうじ)になりました~(^^)/
「だるま観音の大龍寺」の記事も併せてご覧下さ~い(≧∇≦)ノ彡
昔のブログ(って言っても半年前ですが(^^;))を見ると、内容が薄~~い!(^^;)
ってことで、ここでもう一度ちゃんと紹介しますね~!
ってことで、ここでもう一度ちゃんと紹介しますね~!
前回は美濃西国三十三観音霊場の御朱印をいただいてきましたが、今回はその他の朱印もあることがわかったので再チャレンジとなりました~♪ まずは、前回
撮り忘れました山門の画像から紹介しま~す。
駐車場入り口の石柱は前回UPしましたので省きます。ここの石柱にも「金粟山 大龍寺」と刻まれております。山号は(こんぞくさん)と読むらしく、前回の記事では読み違えておりました…(^^;)


山門をくぐった斜め左に丈六(約5m)の達磨大師がお迎えしてくれます。
本堂です。扁額には「大龍○○禅寺」とありますが、○が読めません…(ゝω・)テヘペロ
今回は美濃七福神の御朱印を頂くために2度目の参拝になりました。しかし、どこを探しても「福禄寿」が祀られてるのはわかりませんでした(^^;)
大龍寺の沿革は(これも前回なし(^_-))
「飛鳥時代の持統天皇の時代、国家鎮守の寺として創建されたと伝えられている。平安時代に真言宗に改宗する。安元元年(1175年)後白河法皇が腹帯子安観世音菩薩を安置、本尊とする。明応年間(1492年 - 1501年)土岐氏の強い要望により、瑞翁和尚が招かれる。文亀2年(1502年)大龍寺は臨済宗に改宗し、達磨大師を安置する。永禄年間(1558年 - 1570年)別伝の乱(美濃国で起きた禅宗の宗派の争い)の折、大龍寺の五世龍谷は斎藤義龍に加担し、快川和尚をはじめとする多くの禅家と争うが敗北し、本山妙心寺から除籍される。その為一時廃れたが、天正年間(1573年 - 1592年)再興される。」
本尊は沿革にあるように「腹帯子安観世音菩薩」、「達磨大師」になります。美濃西国三十三観音霊場の第十一番礼所、美濃四国八十八ヶ所の第六十三番礼所になります。
前回
撮ってなかった鐘楼堂です。本堂の真向かいにあります。

八角形の建物は「達磨堂」になります。中は祈願だるまでいっぱいです!
地蔵堂は毎年8月に燈籠まつりが行われます。

左から地蔵堂、達磨堂、寺務所、本堂、鐘楼堂の順です(。・∀・)ノ
御朱印は美濃七福神「福禄寿」でお願いします!と言ったのに…
なんか、福禄寿とは書かれてますが、美濃三十三観音とごっちゃになってる(o´_`o)ハァ・・・
まぁこれはこれでレアかもしれませんが(≧∇≦)ノ また近いうちに正式な美濃七福神の御朱印を頂いてきま~す(^^)/
美濃四国八十八ヶ所
場所:大龍寺


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BEFORE「山腹の観音堂 弘誓寺」
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