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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2017 10/15

[岐阜県] 境内撮影禁止を謳う 新長谷寺


本日最後に訪れたのは『新長谷寺』(しんちょうこくじ)です(^^)/
ここは、岐阜県関市にある真言宗智山派の寺院です。山号は吉田山(きったさん)。山号から通称「吉田観音(きったかんのん)」と呼ばれています。正式名称より通称で呼ばれることが多いみたいです(。・∀・)ノ 
本尊は十一面観世音菩薩となります。三重塔、本堂など、重要文化財が多く、「美濃の法隆寺」の別名があります(^^)/ 美濃四国八十八ヶ所第二十二番礼所、美濃西国三十三観音霊場第三十三番札所、美濃七福神(毘沙門天)(寿老尊)となっています。

最初に伺えるのは仁王門です。
石柱には「国寶(こくほう)吉田山新長谷寺」と刻まれています(^^)/
境内には八つの建物が国の重要文化財に指定されており、国宝の文字も頷けます。

新長谷寺 仁王門

さて、ここ新長谷寺は境内中の至る所に「撮影禁止」の看板で溢れています(-_-)
私もいい大人なので、もちろんそれには従いましたが、、、やはり素晴らしい建物群を記録に残せないのは非常に残念でなりませんでした。美濃の法隆寺と言われるまでには、歴史的価値を後世に残すために様々な努力があったと思いますが、それも参拝者があってこそのものだと私は思います。
素晴らしい文化財を見て、写真撮影をして歴史的資料とすることのどこに問題があるのでしょうか?何か嫌がらせのように「撮影禁止」の看板が見えてくるのは私だけじゃないみたいでしたので、ここになるほど~と書かれているHPがあったので、勝手にリンクを貼っておきます(^^)/ HPの管理人さんありがとうございますm(_ _)m



・・・・結局お金だったのか(o´_`o)ハァ・・・

中に入っては撮影できなかったので、外から望遠で撮った写真をUPします(^^)/
まずは本堂です。入母屋造りで屋根は檜皮葺です。
1909年(明治42年)に重文指定されております。

新長谷寺 本堂

新長谷寺の沿革は
「1222年(貞応元年)、後堀河天皇の勅命により、空海の四世護認上人の開山という。
 1300年(正安2年)4月8日火災で焼失、1304年(嘉元2年)より4年をかけて再建した。
 1457年(長禄元年)に火災で焼失するが、1460年(寛正元年)に本堂が再建される。
 以後、その他の伽藍も再建される。現在の建物は、室町時代~江戸時代初期のものである。」



三重塔です。手前には鐘楼堂がございます。
本堂と同じく檜皮葺で、高さ20.1mあります。本堂と同じ年に重文指定されました。

新長谷寺 三重塔




南側から本堂と三重塔が入った全景です。もちろん敷地外で~~す(^^)/
他は全て高い塀があって撮れるような所はなかったと思います。。。

新長谷寺 全景




いろいろ我慢しながら御朱印を書いていただきました。
美濃西国三十三観音の納経印
新長谷寺①


美濃七福神(毘沙門天)
新長谷寺②


美濃七福神(寿老尊)
新長谷寺③


場所:新長谷寺



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  • No.4 管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    投稿者: 2019/05/07 (火) 21:19
  • No.5 Re: 住職が代わってから

    コメントありがとうございます。
    あれだけの伽藍があるのに、人がほとんどいないのは、そのせいなんでしょうねぇ。。。
    将来、この素晴らしいものが自由に拝観できる場所になっていって欲しいものです。


    > 現在のように撮影禁止の札があちこちに立てられて近所の住民からも評判がよろしくないようで...前の住職は観光バスで来る団体観光客を喜んで受け入れていたようです。

    投稿者:akino1942 2019/05/07 (火) 22:57

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