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西美濃三十三霊場の東光寺


月桂院を後にして、歩いて次に向かったのは『東光寺』(とうこうじ)になりました(^^)/

歩いていると、寺院から西にかなり離れたところに寺号標を発見!「伝教大師御作 乳薬師 小野東光禅寺」と刻まれていました。

東光寺(揖斐川町) 寺号標 



参道入口です。小さな祠の手前に東光禅寺と書かれた看板がありました。遠い道の先に境内が…

東光寺(揖斐川町) 参道入口 



山門前に着きました。左には「臨済宗妙心寺派 医王山 東光寺」の文字が刻まれた寺号標、右にはお馴染みの西美濃三十三霊場の石碑があります。東光寺は第六番霊場となっています。寺号標からは山号が医王山、寺号が東光寺で、正式名称は医王山東光寺とわかります。臨済宗妙心寺派の寺院です。

東光寺(揖斐川町) 寺号標、西美濃石碑 



山門には「医王山」(醫の字は旧字)と書かれた扁額が掲げられています。座禅会や自然塾なども手掛けられているようで、看板が掛けられています。

東光寺(揖斐川町) 山門 



山門入ってすぐの石版に東光寺の歴史と縁起が記されていました。

東光寺(揖斐川町) 縁起石版 



山門から境内全景です。正面が本堂で、右側にあるのは鐘楼堂になります。

東光寺(揖斐川町) 境内全景 



境内右手に手水舎がありましたので、身を清めて進みます。手水舎の後ろには3体のお地蔵様が祀られている堂がございました。

東光寺(揖斐川町) 手水舎 

東光寺(揖斐川町) 地蔵堂 



鐘楼堂です。伝承では本堂と鐘楼堂は200年前の建立とされています。

東光寺(揖斐川町) 鐘楼堂 



本堂です。鐘楼堂と同じ時期、200年前の天保年間の建立です。ご本尊は薬師如来(秘仏)になります。開基は最澄伝教大師と伝えられています。本堂前の左には水子観世音菩薩が見守っておられました。

東光寺(揖斐川町) 本堂 

東光寺の縁起は

「当山は、およそ千年前伝教大師によって創開され、天台宗でありましたが、その後五百年ほどして禅宗になり臨済宗妙心寺派として現在に至っております。
 御本尊は薬師如来で、豊富な母乳を授けて頂ける乳薬師としてよく知られています。
 三世岐秀和尚は寺中に六字の塔頭を建立され、信玄の師匠として当山から甲府へ赴かれました。また仙台藩伊達政宗の師匠・虎哉和尚は岐秀和尚のもとで得度をされた当山に因縁の深いお方であります。
 現在の本堂は十八世の雲海和尚が約二百年前に建立されたもので、鐘楼もほぼ同時代です。
 現住職春岳和尚で二十五代ですが、禅宗としておよそ五百年の歴史のある寺であります。」



本堂前です。扁額の文字は読めませんでした…(^^;) 
本堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>

東光寺(揖斐川町) 本堂前 



お参りを済ませ、左手に伺えるのは、左が庫裡で、右が今は使われていない玄関になります。

東光寺(揖斐川町) 庫裡、玄関 



庫裡の入口前に納経所がありましたので、お声をかけ御朱印を頂きました(^^)/
先程の縁起はここに書かれていたものです。。。

東光寺(揖斐川町) 納経所 



御朱印 何て書いてあるのかな…(^_-)
東光寺(揖斐川町) 

場所:東光寺



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西美濃三十三霊場の月桂院


今回は久しぶりに岐阜の霊場に伺いました(。・∀・)ノ 

揖斐郡揖斐川町にあります『月桂院』(げっけいいん)です!自宅からは車で30分ほどの場所にあります。


まずは坂の途中にある入口には「曹洞宗 清光山 月桂院」と刻まれた寺号標がありました。

山号は清光山、院号が月桂院、寺号はありませんでした。正式名称は「清光山月桂院」となります。曹洞宗の寺院です。

参道はコンクリートとなっていますが、周囲を草花豊かな庭園としており、仏像が上手に配置されています。


月桂院 寺号標 





参道右手の広場(駐車場)側には「水子観世音菩薩」が祀られています。


月桂院 水子観音 





参道左手に、西美濃三十三霊場の石碑がありました!月桂院は第四番霊場となっています!


月桂院 西美濃石碑 





ピンクに彩られた山門です。屋根は銅板葺きとなっています。山門手前には岩をくり抜いて手を握りあう子供の像が彫られていました(^^)/


月桂院 山門 




山門をくぐり、左手には鐘楼堂がございました。梵鐘は岐阜県指定の重要文化財となっています。


月桂院 鐘楼堂 


立て札には

「一鉄が清水城に移ると、天正七年二月二十五日篠村八幡宮(大野町志耶)から尊像を勧請け城の鎮守として西北に八幡宮を創建した。

 神社に鐘堂を建て、城中で陣鐘として用いていた梵鐘を釣って撞いた。

 この鐘は領民が揖斐川より拾い上げ一鉄に献上したものである。」と記されています。




境内左手には庫裡(住居)がございました。境内の中も整備された綺麗な庭園となっています。


月桂院 庫裡 




美しい形の本堂です。言い伝えによりますと、創建は天正九年(1581年)になります。

ご本尊は地蔵菩薩(聖観音)になります。


月桂院 本堂 


月桂院の縁起は


「 西美濃三十三霊場第四札場である、月桂院(げっけいいん)は、安藤守秋、氏家直元と共に西美濃三人衆の1人に数えられた稲葉一鉄の菩提寺。1581年、稲葉一鉄の妻が歿すると、翌年妻の旧宅を寺にして菩提を弔い妻の法名から月桂庵とした。1588年一鉄が歿すると同じく月桂庵に葬られた。その後、荒廃したが、1679年、彦根藩主井伊家が稲葉一鉄の恩義に感じて再興し、曹洞宗・月桂院とした。稲葉一鉄は土岐氏、斎藤氏、織田信長、羽柴秀吉に仕えた西美濃三人衆の一人で、筋を通す頑固な人柄から<頑固一徹>の語源となったといわれる。境内はよく整備され、羅漢像が旨く配置され、稲葉一鉄の息吹きを感じさせる。」




金文字で「清光山」と書かれた豪華な扁額が掲げられている本堂前です。

当日は誰も見えず諦めて帰りましたが、次の日再訪問し、本堂内でお参りをさせていただきました<(_ _)>


月桂院 本堂前 




庫裡側から撮った本堂全景になります。後ろの山の緑が本堂を引き締めています。


月桂院 本堂庫裡側から 




西美濃の御朱印

月桂院 


場所:月桂院




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三重の御英霊を祀る三重県護国神社


松阪城跡から始めました、三重県松阪市・津市の御朱印詣でも最後となります。前回の初馬寺から徒歩5分、津駅の西側にあります三重県護国神社』(みえけんごこくじんじゃ)に行きました(^^)/

駅近で交通量のある通りに面した場所に「三重縣護國神社」と旧字体で書かれた社号標がありました!

三重県護国神社 社号標 



鳥居は銅板で仕上げられており、緑青がいい味を出しています。

三重県護国神社 鳥居 



鳥居をくぐり、左手に手水舎がありましたので、身を清めます。

三重県護国神社 手水舎 



参道はコンクリートで固められています。広い境内の奥に鎮座するのが拝殿です。

三重県護国神社 参道 



拝殿まわりは工事の足場が架けられています。「御創祀百五十年記念事業」の一環として工事をされているようです。

三重県護国神社 参道、拝殿 



境内右手には慰霊碑がありました。写真右側の石碑(石柱)が「歩兵第151聯隊慰霊碑」、次が「歩兵第133聯隊慰霊碑」、次が「歩兵第51聯隊慰霊碑」になります。

三重県護国神社 英霊碑 



拝殿正面です。拝殿前には一風変わったブロンズ製の狛犬がいました(^^;)
御祭神は三重県出身の国事殉職者六万三百余柱の御英霊となります。

三重県護国神社 拝殿 

三重県護国神社の由緒は

「御創祀は明治二年、津藩主藤堂高猷公(とうどうたかゆきこう)が津八幡宮に小祠(しょうし)を建て、戊辰の役(ぼしんのえき)で戦死した藩士の御霊を祀り、「表忠社(ひょうちゅうしゃ)」と称したのが始まりです。
 以来「招魂社」「官祭招魂社」と社名を変え、明治四十二年には現在地に御遷座(ごせんざ)し、昭和十四年に現在の社名「三重県護国神社」となりました。
 しかし、昭和二十年の空襲で本殿・神饌所(しんせんしょ)を残し建物を焼失、また戦後の連合国による占領下においては「三重神社」と改称しなければならない時期もありました。
 昭和二十八年、日本の独立を期に再び「三重県護国神社」とし、同三十二年には、本殿等を新たに御造営復興し、その後数度の改築・新築を行い現在に至っています。」




拝殿にてお詣りをさせていただきました<(_ _)> 
奥の本殿は見てくるの忘れました…( ̄▽ ̄;)!!ガーン

三重県護国神社 拝殿前 



お詣りが終わり、社務所の御朱印受付にて御朱印を依頼しました(^^)/

三重県護国神社 社務所 



境内の南西側にある、三重県護国神社の参集殿になります。この右側に社務所がありました。

三重県護国神社 参集殿 



御朱印はリニューアルしたみたいです。グリーンの狛犬が増えてます!
三重県護国神社 

場所:三重県護国神社



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聖徳太子厄除祈願所の初馬寺


四天王寺を出て次に向かいましたのは、津駅近くにある『初馬寺』(はつうまでら)になりました(^^)/

街中にあり、山門はありませんでした。入口には両脇の塀際に門柱があり「蓮光院」の表札が掛けられています。塀上には聖徳太子厄除祈願所と書かれており、聖徳太子開基の伝承をもつ寺院です。

初馬寺 入口 




境内を中に入った所にの石柱に「馬頭観世音」の文字が伺えます。
山号は「馬宝山」、院号は「蓮光院」、寺号が「初馬寺」で、正式名称は「馬宝山 蓮光院 初馬寺」となります。真言宗御室派の寺院になります。通称として「津の初午さん」と呼ばれています。

初馬寺 参道石柱 




入口正面にあったのは、魚籃観音(ぎょらんかんのん)と言う堂がありました!三十三観音に数えられる観音菩薩の一つらしいです。扁額にも「魚籃観世音」と書かれています。
真ん中が魚籃観音像、右が不動明王、左が七福神で魚を持った恵比須天になります。緑のノボリもありますように、「伊勢の津七福神」の霊場となっております。

初馬寺 魚籃観音 




入口入って左手にあったのは「収蔵庫」かな?扉は金庫のようです!(^^;)
国の重要文化財看板にあるように、大日如来座像や阿弥陀如来座像が文化財としてありますので、この厳重な扉の向こうにあるようです。。。

初馬寺 収蔵庫 



収蔵庫の正面一番奥には本堂がありました(^^)/ 
本尊は馬頭観音になります。伝承では推古天皇22年(614年)の創建です。三重四国八十八箇所第64番札所、伊勢西国三十三所観音霊場第17番礼所となっております。

初馬寺 本堂 

初馬寺の縁起看板より

「当山は聖徳太子が四十二才の時、四天王寺を建立するため当地へお越しになられたのですが、運悪く病気になられましたので、自ら本尊馬頭観世音菩薩を彫まれ重要文化財の大日如来、阿弥陀如来を師である高麗の僧恵慈と慧聡に彫刻させられ奈良法興寺の善徳僧正を召されて厄除除難の法を修せられましたところ病もよくなり事業も着々と進展したのであります。以来元和三年には国家鎮護の道場となり、その後藤堂家守護の祈願時となり、厄除観音として栄えて来たのであります。」

と書かれておりました。




本堂入り口から一つ中に入った所で、お参りをさせていただきました<(_ _)>

初馬寺 本堂前 



入口入った左手に受付がございまして、そこで御朱印を書いていただきました(^^)/
写真は本堂左手斜めに参道通路が別れていまして、右が寺務所と左が庫裡なのかな?

初馬寺 庫裡、寺務所 



御朱印(本尊)
初馬寺① 


御朱印(御詠歌)
「こまいばふ 宝の山は 春ごとに なを繁りそふ 行相いのまつ」
初馬寺③ 


御朱印(七福神 恵比寿)
初馬寺② 


場所:初馬寺


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聖徳太子ゆかりの四天王寺


津観音から歩く事、約15分で『四天王寺』(してんのうじ)に到着しました(^^)/
四天王寺と言えば大阪の四天王寺はわかるのですが、聖徳太子は全国に4つ四天王寺を建立したとされ、津にあるこの四天王寺はその一つとされているそうです。

入口に待ちかまえていたのは総門(山門)です。手前には右に山門名「塔世山」の石碑、左に「四天王寺」と書かれた寺号標がありました!
正式名称は「塔世山 四天王寺」となります。曹洞宗の寺院です。

四天王寺 総門(山門) 



僧門の扉上には山門の「塔世山」と書かれた扁額が掲げられていました。
柱には「西国薬師第三十四番霊場」の札が掛かっています。

四天王寺 総門扁額 



総門入った右の塀際にはお堂が二つ、一つはお地蔵様が祀られています。

四天王寺 堂 



お堂があった塀の外側(境内の外側)には文化財の説明板がありました。
一番奥にある建物は、鐘楼が2階部分にある鐘楼門になります。閉じられていて現在は使われていないようです。

四天王寺 文化財看板、鐘楼門 



総門をくぐって、境内参道の中間にまた門がありました(^^;) これで3ヶ所目の門ですが、こちらは「中雀門」(ちゅうじゃくもん)と言うみたいです。。。初耳でした。[城内または武家屋敷の内部に設けた門]のことを言うらしいです。小さいですが楼門です。
太平洋戦争で3ヶ所ある総門、鐘楼門、中雀門以外はほとんど焼失したようです。

四天王寺 参道と中雀門 



中雀門全景です。2階の屋根下に扁額がありますが、読めませんでした。。。

四天王寺 中雀門 



先程の鐘楼門を境内の中から撮っています(^^)/ 手前には宝篋印塔があります。

四天王寺 宝篋印塔と鐘楼門 



中雀門をくぐって、参道正面にあるのは本堂になります。両脇は緑豊かな庭園となっています。

四天王寺 参道と本堂 



境内の庭園になります。赤い前掛けがあるかわいい水子地蔵がたくさん祀られていました。

四天王寺 境内庭園 



本堂全景です。銅板葺き?なのかな?入母屋でしょうか?正面からしか見ていなかったので、形状はちょっと変わっていますね~(^^;)
本尊は薬師如来になります。

四天王寺 本堂 

四天王寺の由来は

「本寺は塔世山四天王寺と称し、曹洞宗の中本山です。推古天皇の勅願であり、聖徳太子の建立と伝えられています。
 用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れました。そこで太子は四天王尊像を刻み、「もし我が勝利を得れば、寺塔建立するから勝利を与えてほしい」との誓願をたてました。
 その結果、守屋の軍をやぶることができたため、誓願どおり建立した四つの四天王寺を建立しました。その一つが、本寺であるとされています。
 近年、境内から奈良時代の古瓦が出土され、建立されたのは7世紀頃という説もありますが、いずれにせよ1000年以上の歴史があり、平安時代ではこの地方で最も繁栄した寺院でした。
 その後、度々の兵乱や戦火で焼失と再興を繰り返しましたが、元和5年(1619年)に津城に入国した藤堂高虎が改築、二代目藩主高次が寛永14年(1637年)に寺領を寄進したことにより、寺勢をとりもどしました。
 現在の本堂は、太平洋戦争で焼失後、五十二世定行代に托鉢行にて再建されたものであり、市内有数の大きな寺院の一つとなっております。
 また境内には、信長生母、藤堂高虎夫人をはじめとした武将や学者、文人たちの墓や芭蕉文塚ほか、文学碑など貴重な文化財が多く残されています。」



本堂前になります。お参りを済ませ、横の寺務所に御朱印のお願いに伺いましたら、待つ間、お庫裡さんに堂内へと案内していただき、お参りをさせていただきました<(_ _)> 更に冷たいお茶に御茶菓子までいただきましてありがとうございましたm(_ _)m

四天王寺 本堂前 


御朱印
四天王寺 

場所:四天王寺


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akino1942

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たぶん、結構忙しい人です
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ボクのウラの顔がここで見られるかも~wヽ(・∀・)ニヤ

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