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美濃新四国八十八ヶ所の般若寺


本日3ヶ所目は、南泉寺からさらに東へ500mの所にある『般若寺』(はんにゃじ)に行きました(^^)/  まずは、付近の道路に車を駐車し、入口前に来ました。小さい山の麓にあるので、緑が荘厳さを増しています。

般若寺 入口 



寺号標には「金剛山 般若寺」と正式名称が刻まれています。山号は金剛山、寺号が般若寺で、臨済宗妙心寺派の寺院になります。

般若寺 寺号標 



山門です。柱には美濃新四国のナンバープレートがあります。般若寺は美濃新四国八十八ヶ所霊場の第七十番礼所となっています。

般若寺 山門 



山門から真っ直ぐ、コンクリートの参道の先に玄関があります。横に非常に長いこちらの本堂は庫裡(住職の住居)と一体になっているようです。

般若寺 本堂、玄関 



本堂横には地蔵堂がありました。後で由緒にもありますが、堂内には悪霊の憑いた刑場の石を彫刻した地蔵尊像が祀られています。

般若寺 地蔵堂 



正面からの本堂全景は収められませんでしたので、斜め横からの全景です。ご本尊は釈迦如来になります。

般若寺 本堂 

般若寺の由緒は

「市場の般若寺には地蔵尊の掘られた大石が安置されていてこの大石は、もとは今の禁坂(金坂)にあり、天文年間の(1532年)頃、大桑城主、土岐美濃守源頼芸公の麾下の刑場石としてつかわれていたものです。天文2年に頼藝の宝器を掠め取った盗賊を処刑した後、その悪霊が石に入り込み、頼芸公に災いしたともつたえられています。
 大石は江戸時代のはじめには、曇った夜吠える(夜鳴き)石となり、禁坂を通る村人をこわがらせていました。時の般若寺の住職であった旭桑和尚さんがその済度を思案され、和尚さんは石工に申しつけて地蔵尊像を彫刻し、小堂に安置され、六道の出離を永く供養することで霊魂は救われ、その後、声は次第に消えていったと言われています。
 この地蔵尊は、お参りすると盗人を遠ざけ、悪魂を即おとしてくださる延命地蔵菩薩さまです。」

ふるさと大桑PR会管理事務局のホームページより



本堂中程に納経所と書かれた入口がありますので、中に入ってお参りをさせていただきました<(_ _)>

般若寺 本堂前向拝 



納経所にて浄財を納めて納経印をいただきました。

般若寺 納経所 


納経印
般若寺 

場所:般若寺



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美濃新四国八十八ヶ所の南泉寺


善性寺から東に1㎞、本日2ヶ所目の訪問となったのは『南泉寺』(なんせんじ)です(^^)/
西側の大駐車場に車を駐車し、南側の道路に面した入口に来ました。

南泉寺 入口 



寺号標には「瑞應山南泉寺」の文字が伺えます。山号は瑞應山(應は応の旧字)、寺号は南泉寺、正式名称は瑞応山南泉寺となります。臨済宗妙心寺派の寺院です。

南泉寺 寺号標 



参道を進むと分かれ道の中心に竜宮門がありました。

南泉寺 竜宮門 



右側の参道突き当たりに山門がありました。美濃新四国のナンバープレートも掛かっています。南泉寺は美濃新四国八十八ヶ所霊場の第六十九番礼所となります。

南泉寺 山門 



山門くぐって正面が本堂になります。本堂全景です。

南泉寺 本堂正面 



本堂右側の境内参道を斜めに行った先には大庫裡と玄関がありました。

南泉寺 庫裡、玄関 



本堂を左側から撮った全景です。御本尊は聖観世音菩薩になります。

南泉寺 本堂 

南泉寺の由緒は

「南泉寺の始まりは、永正4年(1507年)に建立されたと伝わっています。当初は、恵解(えげ)寺といっていたが、美濃の国十代守護職土岐頼純が南泉寺と改称し、天分16年(1547年)に土岐家の旧館に寺を移しました。
 初代の仁岫和尚の後を継いだ名僧「心頭滅却すれば、火自ずから涼し」の遺言を残した快川和尚もここに居て法門を説いていました。
 名僧、「快川和尚・大愚和尚の肖像画」「土岐頼純の肖像画」「土岐頼芸が描いた鷹の絵」など、このころの歴史や文化を知る貴重な手掛かりとして、指定文化財にされて保存されています。
 寺の裏にある墓地の奥には、土岐頼純の墓があります。頼純は天文11年(1542年)からの国盗りの戦いで、斉藤道三に攻められて、この大桑で天文16年に討ち死にをしました。それを仁岫和尚がここに葬った、と伝わっています。」



境内西側には鐘楼堂がありました。

南泉寺 鐘楼堂 



鐘楼の北側には釈迦堂がありました。

南泉寺 釈迦堂 



釈迦堂前は屋根付きの参道があり、水子地蔵と手水があります。
釈迦堂内にてお参りさせていただきました<(_ _)> 

南泉寺 釈迦堂参道 



本堂に戻り、本堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂前の扁額は何て書いてあるのか読めませんでした…┐(-。-;)┌

南泉寺 本堂前 



本堂内に納経所がありましたので、浄財を納めて納経印をいただきました。

南泉寺 納経所 



境内全景です。

南泉寺 全景 


納経印
南泉寺 

場所:南泉寺



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美濃新四国八十八ヶ所の善性寺


今回からちょっとの間、美濃新四国巡拝の報告となります。まずは雨の中、最初に行ったのは岐阜県山県市にある『善性寺』(ぜんしょうじ)になりました(^^)/
大通りからの入口に寺号標がありました。「臨済宗 善性寺」と刻まれているこちらの山号は「瑞巖山」、寺号は「善性寺」、正式名称は「瑞巖山善性寺」になります。臨済宗妙心寺派の寺院です。

善性寺 参道入口 



参道途中に駐車場がありました。参道には「卍南無弘法大師」と書かれた美濃新四国のノボリもあります。

善性寺 参道 



山門前の緩やかな坂は、真ん中を階段にして両脇は緑にしています。

善性寺 参道山門前 



山門に着いた頃には雨まで写真に写るくらいの土砂降りでした…(^_-) 
美濃新四国のナンバープレートもありますが、赤色卍マークが薄れてしまっています。。。 善性寺は美濃新四国八十八ヶ所霊場の第六十八番礼所となっています。

善性寺 山門 



山門前には石製の由緒が記されていました。それによりますと、開山は「隠嶺梵阿大和尚」、創建は「則道如説大和尚」、創立は延宝六年(1678)八月と江戸時代の初期のようです。

善性寺 由緒 



山門入って正面は庫裡(住職のお住まい)です。境内参道は石畳で、境内は庭園として整備されています。

善性寺 庫裡 



庫裡の左側には本堂です。本堂側の庭園は更に本格的です。剪定も隅々まで行き届いているのがわかります。

善性寺 本堂全景 



本堂の更に奥にあるのは何のお堂でしょうか?

善性寺 本堂西お堂 



本堂階段前に、四国霊場のお砂ふみ所がありました。

善性寺 お砂ふみ所 



本堂と庫裡の間にあったお堂に額が掛かっていますが、「おないまで」?うーん読めない(^^;)

善性寺 本堂と庫裡の間の堂 



本堂前です。御本尊は由緒にも書かれていましたが、聖観世音菩薩になります。向拝ではお参りする場所がありませんでしたので、本堂内にてお参りさせていただきました<(_ _)>

善性寺 本堂前 



本堂内に納経所がありましたので、浄財納めて納経印をいただきました。

善性寺 納経所 


納経印
善性寺 


場所:善性寺



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美濃新四国八十八ヶ所の新長谷寺


関善光寺から歩いて15分、『新長谷寺』(しんちょうこくじ)に行きました(^^)/

昨年の10月に伺った時は、かなり気分の悪いものだったので、まさか又行くとは思っていませんでした。。。┐(-。-;)┌ [前回の新長谷寺ブログ]  今回は美濃新四国巡拝のため気分を一新して行って参りました!

まずは、入口です。伽藍に国の重要文化財がたくさんある新長谷寺ですが、仁王門は市の重要文化財です。右手には「美濃西国三十三観音」霊場の看板もありますが、前回美濃西国三十三観音は巡拝しております。

新長谷寺④ 入口 



寺号標には「国宝 吉田山新長谷寺」と正式名称が刻まれています。

新長谷寺④ 寺号標 



仁王門です。宝暦三年(1753)の再建と、約260年も前(江戸時代)の建造物のようです。十分立派なんですがね~(^_-)

新長谷寺④ 仁王門 



中門です。扁額には寺号である「新長谷」が書かれています。ここより先の境内は「撮●禁止」区域です。。。

新長谷寺④ 中門 



吉田山新長谷寺縁起がございました。

新長谷寺④ 縁起 

「平安時代は吉田寺というお寺でした。その頃は清和源氏との関係が深かったようです。ただ、吉田寺がいつごろに創建されたお寺かはっきりわからないので、800年以上の歴史と表現しております。
 吉田寺の住職であった護忍上人(弘法大師第四世法孫)が大和の長谷寺に参籠の折見た霊夢によって十一面観世音菩薩の尊像を感得しました。この尊像を祀るために堂宇を興したのが鎌倉時代の初めの頃でございます。時は承久の乱、後鳥羽上皇らが島流しにあった後に即位されたのが後堀河天皇(1222年即位)でございます。
 護忍上人の祈願によって天皇の眼病平癒に効験があり、そのお礼として新長谷寺の寺号を賜り、併せて国家鎮護・五穀豊穣を祈る勅願道場に定められました。その後、後伏見天皇の勅願を賜るなど寺門は大いに栄え、八丁四面の境内地に七堂伽藍と十六坊の塔頭を構え、末寺も百ヶ寺を越えました。ところが、正安二(1300)年第七世隆覚法師の代、戦火により伽藍堂塔ことごとく灰燼に帰しました。この時は実兄である稲葉城城主鎌倉二階堂出羽守行藤朝臣の庇護を蒙り、旧観に復されました。南北朝時代は後村上天皇より梵鐘と併せて秋葉三尺坊大権現を賜り、室町時代を通じて寺門は栄えましたが、長禄元(1457)年再び戦火により被災し伽藍の一部を焼失しました。この時は、村山三河守源頼秀朝臣・山内式部函利通朝臣(土佐山内氏の先祖)が大檀那となって再興しました。現存している建物の多くがこの時のものです。戦国時代は織田信長の命により羽柴筑前守秀吉に攻められ、十六坊が復興され、尾張徳川家の手により仁王門の再建・経蔵の造営などが行われました。明治時代の神仏分離政策に伴う廃仏棄釈運動・濃尾震災・大東亜戦争・農地開放など、その度に打撃を受け、時には再興も難しいような時もありましたが、その時々の住職方の尽力によりなんとか法灯が保たれました。
 近年になって、ようやく伽藍の修理や境内の整備が進み、昔は特権階級のお寺でしたが、皆様方の信仰の寺として生まれ変わることができました。現在は約六千坪の境内地に二十三棟の建物があり、内八棟が国指定重要文化財・三棟が関市指定重要文化財になっており、全国でも有数の古刹となっております。仏像は、御本尊十一面観世音菩薩立像・源義朝公守本尊厨子入阿弥陀如来立像が国指定重要文化財になっておりますが、未公開の寺宝も多数抱えており、調査の上重要文化財・国宝に申請するのが今後の課題となっております。」



前回も同じアングルから撮りましたが、塀外から望遠撮影です。右手前が鐘楼、右後ろが三重塔、左が本堂になります。いづれも室町時代の建立で、国の重要文化財となっています。

新長谷寺④ 境内伽藍 



本堂は先程の望遠を拡大しています。(^^;)
屋根は入母屋造で檜皮葺です。寛正元年(1460)に再建されております。ご本尊は十一面観世音菩薩になります。

新長谷寺④ 本堂 



国重文の大師堂です。今回は美濃新四国八十八ヶ所霊場の巡拝で、この場所のお参りが目的でしたので若干気が引けましたが撮影させていただきました<(_ _)>スイマセン
もちろん浄財はたくさん入れてきましたので勘弁してください。<(_ _)>スイマセン
新長谷寺は美濃新四国八十八ヶ所霊場の第二十二番礼所となっております。

新長谷寺④ 大師堂 



東側の塀外から三重塔です。西日で綺麗には撮れませんでした…(^_-)

新長谷寺④ 三重塔 



いつか、国の重要文化財である七堂伽藍を撮影させてもらえる日が来ることを切に願います。

納経印です。
新長谷寺④ 

場所:新長谷寺



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美濃新四国八十八ヶ所の関善光寺(宗休寺)


貴船神社に続きましては、昨年も一度伺いました『関善光寺(宗休寺)』(せきぜんこうじ(そうきゅうじ))になりました(^^)/ 前回ブログも併せてご覧下さい♪
まずは前回と同じ構図になりますが、入口前から正面の高い所に本堂横側が小さく写る絶景ポイントです。

関善光寺③ 入口 



寺号は宗休寺なんですが、通称の「関善光寺」の名が刻まれた社号標です! 山号は「妙祐山」で、正式名称は「妙祐山宗休寺」になります。天台宗安楽律法流の寺院です。

関善光寺③ 社号標 



先程の本堂横側をUPにしてみました(^^)/ まるでお城みたいに石垣が高く積んであるのがわかります。

関善光寺③ 入口から本堂UP 



緩やかな参道階段を上がっていきます。本尊である「善光寺如来」と書かれたノボリがたくさんあります。

関善光寺③ 参道階段 



階段上がって、最初に手水舎がありますが、その横に境内案内図がありました! これがあると建物がどんな名前かわかるので便利です!

関善光寺③ 境内案内図 



炎天下の中歩きづめでしたので、お茶所「宗休庵」で一息つきましたε-(´∀`*)ホッ

関善光寺③ 宗休庵 



案内図によると手水(ちょうずや)と書かれていました(^^;) たしかに壁もあって豪華だから「」が合いますね~ 身を清めて各所のお参りに進みます。

関善光寺③ 手水屋 



手水屋の向かいには、ここの目的場所である「弘法堂」がありました。右の階段を上に行くと四国八十八ヶ所お遍路石仏巡りができます。

関善光寺③ 弘法堂 



「弘法堂」と書かれた額があります。壁にはお馴染みの美濃新四国ナンバープレートも掛かっています。ここ関善光寺は第二十一番礼所となっております。中濃八十八ヶ所にもなっているようです。

お大師様が祀られている弘法堂内に入らせていただき、お参りさせていただきました<(_ _)> 

関善光寺③ 弘法堂前 



弘法堂の横並びに「行者堂」がございました。

関善光寺③ 行者堂 



手水屋の横には八角形の「大日堂」があります。案内図では「宝冠大日如来堂」と書かれていますが… 前回お伝えしました「五郎丸ポーズ」の宝冠大日如来が祀られています。

関善光寺③ 大日堂 



本堂です。案内図ですと「善光寺如来堂」になっています(^^;) 

関善光寺③ 本堂 

関善光寺の概要は

「関善光寺の創建は延享2年(1745)、広瀬利忠が祖父母の遺言で祖先の霊を供養する為、草庵を設けたのが始まりと伝えられています。宝暦5年(1755)に竹本院の古跡を現在地に移し、智堂大和尚(比叡山)を招き開山し、祖父の戒名「歇山宗休居士」に因み寺号を「宗休寺」、祖母の戒名「慈岳妙祐大姉」に因み山号を「妙祐山」に改め妙祐山宗休寺竹本院としました。寛政10年(1798)に信州善光寺(長野県長野市)の出開帳がこの地で行われ、その縁で上野輪王寺輪番公寺澄法親王の持仏一光三尊善光寺如来を拝領しています。文政元年(1818)、一光三尊善光寺如来を本尊として信州善光寺を模した堂宇が計画され10年の歳月をかけた文政10年(1827)に竣工しています。以来、関善光寺として広く信仰されるようになりました。」




「善光」の額が目立ちます。中では日本で唯一の卍型戒壇巡りができます。本尊の善光寺如来像は銅製でできているそうです。本堂内左側に御朱印所がありましたので、美濃新四国の納経印を頂きました(^^)/

関善光寺③ 本堂前 



本堂と大仏殿(摂取殿)の間に「龍頭稲荷」がありました。

関善光寺③ 龍頭稲荷 



「大仏殿(摂取殿)」です。中の大仏は前回ブログを参照して下さい(^^)/ 大仏殿は旧本堂だったようです。宝暦3年(1753)に造営され、本堂と共に関市指定有形文化財に指定されています。

関善光寺③ 大仏堂 



本堂(善光寺如来堂)と大仏殿(摂取殿)の全景です! 威圧感があります。

関善光寺③ 本堂と大仏堂 



本堂よりももう一段上にある「鐘楼」です。3tある大梵鐘は岐阜県重要文化財となっており、県下最大だそうです。「太平護国天尊、大明嘉靖庚子歳製」(1540)の浮刻があり、明の12世:世宗の時代の鋳造です。

関善光寺③ 鐘楼 


納経印です。
関善光寺③ 

場所:関善光寺(宗休寺)



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akino1942

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たぶん、結構忙しい人です
(ゝω・)テヘペロ

ボクのウラの顔がここで見られるかも~wヽ(・∀・)ニヤ

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